風のひとこま

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三月 まのあたり天降(あも)りし蝶や桜草(芝不器男)
桜草のような優しく可憐な草花を詠って、これほど広い宇宙感を感じさせる作品も少ない。この桜草は桃色の花と見たい。
そこにかがみこんで見ているうちに、それこそ降って湧いたように白蝶が飛んできて、桜草の上に止まった。
「まのあたり」は、目前にという意であるが、この詠い出しには驚きが込められている。
「天降りし」は、天上から降りる、あまくだるの意の古語。
蝶を天女のような初々しい美しさで迎えたのは、桜草のうるわしさに溶け込んでいた作者の詩心でもある。
蝶を白蝶に感じたのも桜草との色との対比ともいうこともあるが、「天降りし」と天上を感じさせる語感に負うところが多い。
抒情豊かな美意識のおおらかさは類が無い。

2009.3.31(火) 兜の押し絵作り in 江尻親和CH
一昨年から干支の押し絵を習う機会があり、現在、子、丑と短冊が完成しています。
2月にはお雛様(色紙)を習い、今日は5月節句の兜を作成しました。
メンバーは押し絵を作りたい9人、いつもの平尾先生をお招きして9時から開催。
意外に簡単そうに見えましたが、紐の房まで作ると16時までかかってしまいました。
しかし、完成品を目の前に皆ニコニコ顔♪
4月3日まではお雛様を掛けて、その後、この兜を飾り端午の節句をお祝いしたいと思います。
お世話になりました先生、参加の皆さん、ご苦労様のありがとうございました。

緊張の面持ちで
いよいよ開始です。
風の完成品。
満足、マンゾク♪
皆で自慢の記念写真
(3人は早く帰宅)
フクロウの色紙
可愛いですねぇ。
お月見はこれ!
素敵ですねぇ。
2月に習った
お雛様です。


2009.3.26(木) コゲラをキャッチ♪ in 岡山市内
今日は、霜がおりるような冬の寒さでしたが、午前中、時間があったので野鳥の撮影に出かけてみました。
某公園に着くと野鳥の声があちこちで聞こえます。風は、声を聞いても何が何の野鳥やらさっぱり解りません。
しばらくするとコゲラがやってきました!
コゲラは、黒と白の模様をした小さなキツツキ類で、日本では全国的に分布し、
林の中の枯れ木や、枯れかかった木に、くちばしで穴を掘って巣とし5〜7個の卵を産んで夫婦共同で抱卵するそうです。
じっと見ているとさっそく木に穴を開け始めました。
初めてコツコツ穴を開ける姿をみたので、感激と興奮が入り混じりカメラの焦点が合っていませんがご覧くださいませ。

コゲラがやってきたよ。 ♂と確認
側頭部に赤い斑点
既に穴が開いている
場所へ止まって・・
お部屋の具合は
どうかな?
(と穴に入る)
コツコツ・・
邪魔な木屑は捨てて・・
(口にあるのは木屑)
快適にするにために
もっと頑張るぞ!
(飛び散る木屑にご注目)


2009.3.23(月) 全国都市緑化おかやまフェアその2 in 西川・烏城・後楽園
標題のフェアは、西大寺の主会場では、この3日間に事務局の見込みを大きく上回り15,500人に達したそうですね。
風は、本日、岡山市内中心部の展示をキャッチしに行ってみました。
西川緑道公園では、「花・緑ハーモニーフェスタ in 西川」をテーマに数々の見所があり、
烏城天守閣では、ユニークな桃太郎伝説の原風景が、後楽園ではタンチョウとももっちを見事な多肉植物で表現した展示がありました。
また、付近の桜の写真も撮ってきましたのでご覧くださいませ。

西川緑道公園のゲート
イベントもいっぱいあるよ♪
桶屋橋立体花壇です。
桃太郎と顔写真も
撮れます。
西川アイプラザ前の
フラワータワー
桃太郎伝説
桃太郎はヤマモモ、
イヌがイヌツゲ、
サルがサルスベリ
キジは流木で表現
向こうは鬼が島で
とがった石と
ヒイラギ南天で怖さを表現

川には桃が流れ・・
後楽園正門
タンチョウが良いですねぇ。
なんたって材料が奇抜!
後楽園正門
ももっちも堂々と
こちらも多肉植物で。
石山公園の有名な
枝垂れ桜はまもなく見頃
後楽園内の桜は
咲き始めで〜す。
出石町の公園に
咲いていた白い桜。


2009.3.18(水) 全国都市緑化おかやまフェアその1 in JR岡山駅前 & 
チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展 in 岡山市デジタルミュージアム

全国都市緑化フェアとは都市緑化の意識の高揚と知識の普及等を図ることにより、
緑豊かな潤い溢れる都市づくりに寄与することを目的として、
建設省(現国土交通省)の提唱により、昭和58年から毎年各地で開催されている花と緑の祭典です。
 明後日(20日)から始まる「全国都市緑化おかやまフェア」は、26回目で5月24日まで開催されます。

メイン会場西大寺地区、サブ会場の岡山城・後楽園へは、のちほどゆっくり行くとして岡山駅前の展示をご覧くださいませ。

また、デジタルミュージアムでは、1206年にチンギス・ハーンが建国したモンゴル帝国にまつわる至宝展が開催されています。
風は、ラッキーなことに山陽新聞のクイズに応募したところ、この入場券が当たったので行ってきました。
謎に包まれたチンギス・ハーンの時代と世界最大のモンゴル帝国を紹介する本格的な展覧会ですので皆様もどうぞ。

岡山駅前の展示
お花が満開で〜す。
巨大なバスケットが
すごい!
公園協会も宝船を展示
万両、千両、百両、
十両、一両が見えるよ。
デジタルミュージアム
モンゴル展の看板
チンギス・ハーン騎馬像
迫力があります!
ブレイク(1/2)
同窓会記事が新聞に
掲載されました。


2009.3.15(土) 第19期岡山市民文化大学 in 岡山シンフォーニーホール
昨年岡山市民大学を受講してとても良かったので、本年度も申し込みました。
2月の講師は、現農水大臣の石波茂氏でしたが所用のため欠席。
3月の今日は、「極道の妻たち」の原作で有名な家田荘子先生。
黒いパンツスーツに赤のタートルのインナーを着てご登壇の家田先生は、とても華奢でおきれいな方。
なめらかな語り口調とは裏腹に、内容はヤクザとエイズのお話。
実体験に基づいた内容は、日頃、縁もゆかりもないことばかりで大変勉強になりました。
以下、おなじみの講演要旨を載せましたが、読んでみようかなぁ〜と気になる方はご覧くださいませ。

講 師 取材現場から〜私の出逢った人々〜 講演要旨
家田荘子先生
プロフィール
年齢不詳
作家に転職するまで
女優、OLなど
10以上の職業を経験。
取材に2年かけ
「極道の妻たち」を
発表。
「私を抱いて
そしてキスして
エイズ患者と
過ごした一年の
壮絶記録」で
大家荘一
ノンフィクション賞受賞。
1999年、高野山
真言宗最福寺で得度
2007年僧侶に。












皆さん、こんにちは。家田荘子です。
昨日まで二泊三日の四国遍路をしており、夕方の6時まで歩いていた。ところがすごい雨で今日も大丈夫かなと心配していた。
私の性格は、見かけのイメージとは逆で、口数が少なく一週間しゃべらなくても平気、外見はハデだが、中身はジミです。髪の毛はこのように茶色だが、これは週間文春で取材記者をしていたおり、カリスマ美容師の取材を記者と言うことを隠して取材をするように言われ、一番時間がかかるのがブリーチかなぁと思ってやった。すると虎の子のような金髪になった。当時は染め直しもきかなかった。それから金髪で取材に行くと外見で判断され質問には応えてくれなくなった。つまりこの髪によって人間の裏が見えるから当分この髪で行こうと思った。しばらくしてこんな髪にも時代が追いついてき、後ろ姿で声を掛けられるようになった。

記者とは、人に会って話を伺う職業だが、実は女優とかグラビアを飾る職業になりたかった。しかし、色気と身長が不足してなれなかった。
私は本来、人に会うのも喋るのも苦手だった。「極道の妻」の原作は私だが、映画のシナリオライターではない。極道と住まいを共にして書いたが、この性格が災いした。当時、山口組と一和会抗争のあった頃だが、朝から晩まで各メディアで報道されていた。
この頃のマスコミでは、女性は仕事をしていなかった。男の残り物の仕事とか料理の取材ぐらいでマスコミは古い古い社会だった。特にヤクザはコネがないと取材できないと言われていた。私は、”ヤクザの幹部宅、古いマンションに五歳の男の子がいて窓からピストルの銃弾が撃ち込まれる。子供の近くにいたエプロン姿のお母さんが飛んで来て子供をかばう姿。あるいは、今日出ていくヤクザの夫を見送る妻の気持ち”がどのようなものか取材したかった。

週間文春にヤクザの奥さんの取材に行きたいと言ったら「いいよ。でも、コネがないとできないけど、あるの?怖いよ。命に関わるかも、大丈夫?」と言われた。私はノンフィクション作家で、事実しか書けない。小説は嘘も良いがヤクザの取材は、誰かがやればもう言い出せない。私はコネがあると嘘を言った。それからヤクザ捜しを始めた。街でそのような集団を見ても「あなたヤクザですか?」とも言い出せず、自分へのネタの提供者へも頼んだ。一月くらいしてネタ提供者から連絡があったが「何で女が仕事がしたいんだ?」と女ということが壁になった。別の人は「一晩つきあえばヤクザに紹介してあげる。」とも言った。今ならセクハラですからと言えるが当時はなかった。また「極妻」が映画化された時にもマスコミに「女は良いよね。寝れば書けるんだから・・」と面と向かって言われた。私は傷ついて自立神経失調症になった。

こんな時応援してくれたのは女性で大変慰められた。当時は、女性が働くことが世間に認められてなかった。そしてヤクザ捜しから8ヶ月後やっとヤクザを紹介してくれた。その時、私は知らない世界なので「知ったかぶりは止めよう、相手の出方に合わせよう」と自分に言い聞かせた。
ヤクザに会う日、新幹線の車体番号だけ告げ駅に降りた。乗客が皆降りた後、売店の陰から白いブルゾン、白いパンツ、白いエナメルシューズを履き、ハンチングワールドのセカンドバッグの大男と小男が現れた。ハンチングバッグはちょうど拳銃が入る大きさ。熊のような大男が杉田さんといい、その奥さん役が「極妻」のかたせ利乃になった。杉田さんは「家田先生でっか?」と聞いた。私は「はい。」と。ヤクザは入場券も買わず入ってきたらしく出るのも改札をにらみつけて出た。
外には白いベンツとクラウンが待っており、ベンツの後部ドアを開けて「どうぞ」と言われた。杉田さんは危険性があるにも関わらず助手席が好きなようで、助手席に座った。ベンツがスタートすると電話がかかり、「バカヤロー、コノヤロー!」に震え立った。それは取り立ての失敗の報告の電話だった。

そして、「自分、杉田と言います。」と私に言った。私は怖くて自分の名前も言えない、会話のシナリオを用意していたが全て忘れた。やっと言えたのが「すみません・・。」「これから親分の待つホテルへ行きます。」「すみません・・。」「東京は晴れでしたか?」「すみません・・」「もうかってますか?」「すみません・・」だけ。何故ヤクザの事務所でなくホテルなのか?ひょっとして、私は手込めにされ売り飛ばされるのか?と想像した。

ホテルについたら黒い人がいっぱいいて、花道が果てしなく続いていた。パンチパーマが100人以上、「何やこの娘!」体の皮が破れるようなヤクザの視線の中、緊張のあまり右手、右足が一緒に出た歩き方をしていた。ラウンジに着くとそこにいた客はすぐいなくなり、注文のミルクティーをヤクザが砂糖を入れ、カップすれすれに注いでくれた。緊張してこぼし全身が震え、歯とカップがガチガチ鳴った。私の前にプロ野球の小林繁のような人(親分)が座った。するとボディガードが蟹のように動き我々を囲んだ。私は名刺を渡し、今回もシナリオどおり野球やゴルフの話をして後半、取材を頼もうと思っていた。
ところが「今日は何か?」と聞かれ、いきなりシナリオの前半が飛んだ。私は言葉が出て来ない、顔中震え、のども震え、眠くなった。緊張のあまり疲れて眠くなったのだが、ふっと目を上げたら親分が見ていた。私は人の顔や目を見て喋れていなかった。これも「女だから」なのか。私は「話をもう一回やり直しさせてください。」とヤクザの妻の取材をお願いした。親分は、「そいつが嫌だと言ったらワシは知らん。」と了解をしてくれた。親分はオシクラマンジュウの状態で車に乗った。この親分の組は、10日前の朝日芸能の記事では、相手の組員を2人殺して、身内が2人殺されるという抗争状況にあったため、一般の人を巻き添えにしないようホテルにしたらしい。

それから、私は杉田さんの妻に会って、震えが来た。とても適わないと思った。歳が一回り以上違うし、抗争の最中も平然としていた。私は、口数が少ないし、直球でしか聞けなかった。「悲しかった事は?」「ないね、忘れちゃった。」としか答えない。彼女は、悲しみを心のひだの奥にしまい、鍵をかけていた。その鍵を開ければまた悲しみを思い出さなくてはいけない。
私の取材パターンは世間話をして、信頼を築き、話してもらい、最後は相手に原稿を見てもらうのだが、彼女にはいつもはぐらかされていた。ある人から「あなたはいつも上から人を見ている。都合が悪くなると文春の記者と言う。同じ物を食べ、同じ空気を吸い、同じ生活をしないと気持ちが分からない。Aさんに会うなら家のドアを出るとき、自分のカラーを脱ぎ捨てなさい。そして会って自分の家に入る前にAさんのカラーを脱ぎ捨て自分のカラーを着なさい。」確かに何の先入観もない真っ白な心で会い、時間と距離を置くと良く分かる。

私は彼女に「住み込みをさせてください。」と頼んだ。「いいよ。」ということで1週間に2〜3日泊まった。私は性格が暗いし、包丁も持てない、掃除もできない、あいそもない、荷物も持てなかった。杉田夫婦の会話を聞こうと思ったが良く聞こえない。何か話しかけなければと思えば思うほどストレスも溜まった。そしてストレスのピークで気がついたことは、聞き上手になろうということ、その為にはどうすれば良いか?一所懸命聞くことだと思った。ヘタなしゃべりを止めた夜、可哀想なサスペンスを見ていた彼女がついに喋り始めた。”愛した男がたまたま極道だった・・・。”

人には誰しもコンプレックスがある。しかし、端から見たらちっぽけなもので、むしろ利用法がある。私は厳しい母親に育てられ、殴る、蹴る、押入に入れられるが日常だった。これは、母の考える”咲き時”と私の”咲き時”が違っていたためである。子供には、何でできないの?と叱らず、無理をさせないことが良い。

弘法大師は、「煩悩、欠点は無理してなくさなくて良い。良いとこ、長けている所を見つけてほめてあげる。」と。欠点を直したり指摘するのではなく、良いところをほめて見つけて伸ばすと負担なく欠点が小さくなる。私なら、話し下手が聞き上手となり気持ちが楽になってくる。

もう一つ、1987年に神戸で初のエイズ患者(女性)が死んだ。当時、マスコミはエイズが何か良く分からず彼女の私生活を暴露したり写真を載せて彼女と関係があるものは検査に行くよう報道した。その頃、私の元夫は外国人で、外国人を見ればエイズが来たと誤解され、偏見があった。エイズは怖いと信じられていた。元夫がアメリカに転勤した場所は、エイズ患者が多い所でだった。公民館のセミナーでエイズ患者がスピーチをしていた。エイズは感染すると2年以内に死ぬと言われていた。彼らは今自分に何が大切か、生きることと、エイズをみんなに理解してもらい、援助してもらうことと主張していた。感染している者としていない者には大きな壁があった。「私はあなた方にどう接すればいいですか。」と尋ねると「今までどおりでよい。」と。

それからエイズ患者の多いアトランタへボランティアに行った。私は黒人女性ジーナという患者のホームナースをした。ジーナは出産による輸血でエイズに感染、7年後に発病した。ジーナは何度も私にテストをした。シュリンプカクテルと言い小さなエビをケチャップにつけて食べるのだが、唾液をつけて何度もその動作を繰り返したり、汚いタオルを共有させたり、血だらけのシーツで寝させたり、くり返しテストが行われた。私はエイズの怖さが消え、むしろジーナの命がなくなることの方が怖くなった。人間には色々な差別があるが、もう一歩前に出て知ること、勉強することが大事である。すると、あってはならない感情が減る。
ジーナはつらい事があると壁を磨く癖が有り、ある日スポンジを持って壁に向かってしゃがんでいた。「ジーナどうしたの?」「左目が見えず、左足、左手が動かない。次は右側に来る。差別を受けてもひとりぼっちでも、痛くても、生きていたい!」。私にできることはジーナを抱きしめるだけだった。重病人を前に何ができるか、一緒にいてあげる事が大事なのだ。そんなジーナに言えないことがあった。それは自分のお腹に生命が誕生していたことだ。夫の転勤でハワイに行くことになったが、私の緊急opeで夫がジーナに連絡していた。ジーナが電話してきて「おめでとう!こんなに嬉しい事はない。神様ありがとう!」と。私は明日命のなくなる人に自分の幸せを言ってはいけないと思っていたのだが、ジーナは素晴らしい人である。

愛することには3つある。@受け入れることA理解することB信じること。エイズは、愛や差別を考える機会を与えてくれる。

世の中はお金で悩みの相談に乗ってくれる所もあるが、何とか無料でできないものかと私が気づいたのが人生の折り返し地点であった。高野山最福寺で得度した。得度は在家出家で僧侶ではない。それから多くの行を積み8年で僧侶になった。私は苦しんでいる人達が立ち寄れる場所を作りたい。ミニ駆け込み寺である。その為には住職の資格を取らなくてはならない。この1月に住職の資格には合格した。お金も貯めて大学院生で勉強し直し、あと5〜10年かかるが、今日の会場の皆さんに敢えてお話した。私なりにゆっくりやる予定である。

何かにチャレンジしたいなら歳に関係なくやろう、遅いことはない。一歩前に出ること、また、そんな人には背中を押してあげること。昨年9月には月山で行をやった。山での教えは、人生と同じ、早く歩ける人はうらやましいが、大きな一歩はくずれやすい。小さな一歩一歩をマイペースで積み重ねている人は大丈夫だと思う。

時間はかかるが、小さな一歩を重ねる事が大事である。どんなに苦しくても立ち止まっても良いから一歩前に出れば目的に近づける。自分の歩幅より小さな一歩で進むことが良いと思う。


2009.3.12(木) 瀬戸の野鳥 in 瀬戸町
今日はお彼岸の墓掃除終了後、ルリビタキがいるという情報のあった公園に出かけてみました。
車の中からカメラを構えていると向こうの方で芝生にホオジロが・・・
続いてジョウビタキの♂も登場。そしてヤマガラもやってきました♪
しかし、400mmレンズではなかなか届きません。
まぁ、今日はこれだけ見られたから良しとしましょと思っていたら車の左に青い蝶みたいなものがヒラリ・・
すると、な〜んとルリビタキが地上にやってきたのです。
ところが、車の窓を閉めていたので開けたら逃げると思いそのままパシャパシャと連写。
あっという間にいなくなりましたが、感激しました!

これだけではありません。夕食を作っていたら裏の家で何やら鳥の鳴き声がします。
そ〜っと窓を開けるとエナガが二羽いるではありませんか。
ラッキー♪かなり近くで撮らしてもらいました。あれもこれも墓掃除のおかげ?
たいした写真ではありませんがご笑覧くださいませ。

ルリビタキ(♂)
飛び立つシーン(ボケ)
ルリビタキ
炭の上に止まったよ。
ルリビタキ
こちらを向いた。
ヤマガラ
相当高い木の上
エナガ
花水木に止まった。
エナガ
振り向いても可愛いね。


2009.3.4(土)第4回淡水魚保全シンポジウム岡山大会 in 岡山市立万富公民館
テーマ「淡水魚の保全とその課題〜特に農業との共生について〜」

おかやま水辺のいきものネットワーク、淡水魚保全研究会主催の標題の大会が開催されました。
目的は、「生物の保全と共に農業振興や町おこしも含めた多面的な活動を展開するための契機としてシンポジウムを開催する。
特に淡水魚と農業の関係として、農業用水路に関わる話題に焦点をあて、生物保全と農業との間にある合意形成の問題にも触れる。」です。

参加者は全国から集まった研究者ら約250名。
特筆すべきは同研究会理事の秋篠宮殿下がお見えということで、会場も期待と緊張に包まれていました。
プログラムは、あいさつ、基調講演(岡山の淡水魚、アユモドキの生態と保全上の問題点、岡山における淡水魚保全の現状と課題、
生物多様性の維持と保全上の問題)、ポスター発表、パネルディスカッションと半日かけて行なわれました。

瀬戸町はアユモドキが生息する自然が残されており、今後の保全についての貴重なお話を聞くことができ参加して良かったと思います。
20〜30年前には沢山いた淡水魚が環境の変化により減少している現実を重く受け止めなくてはなりませんね。

関係者の皆様に心より敬意を表します。ありがとうございました。

会場の万富公民館に
設置された看板
秋篠宮殿下が
ご到着です。
(以後撮影禁止)
歓迎アトラクションの
一部
剣詩舞のご披露
小林一郎会長
開会挨拶
ポスター展示
「瀬戸鳥を愛する会」で
瀬戸町の野鳥を展示
パネルディスカッションと
会場風景

二月 恋猫の恋する猫で押し通す(永田 耕衣)
人間は生活のために種々雑多なことがあるので、四六時中、恋愛に専心することなどはできない。
昔の女性はいざ知らず、男性はいつの世でも、恋する男で貫き通すことはなかったであろう。
ところが、さすがに猫は動物だから、春の交尾期になって交(さか)りがつけば、ひたすら恋情に徹することになる。
それに対してかすかな羨望を感じるところが俳諧であり、ほほえましい。
「恋猫」を「恋する猫」と引き伸ばして言い換え、季題以外のものを一切削りとり、季題だけに思いを凝らした。
夜を徹して鳴きつづけ、ひたすら恋に没頭する猫の生態を描く。


2009.2.28(土) 土井堅郎さんのThank’sパーティ in ピュアリティまきび
本日は、瀬戸町民180名の参加で、長年、瀬戸町行政にご貢献いただいた土井堅郎氏に対し、感謝の宴が開催されました。
土井氏は、S54年瀬戸町議会議員初当選から以降4期16年町議を、H7年瀬戸町長に初当選、以降3期町長をつとめられました。
そして、H19年岡山市との合併により町長退任、岡山市瀬戸町発足と同時に瀬戸町合併特例区長として2年間ご尽力されました。
この30年間の誠心誠意溢れる取り組みが、今日の瀬戸町の発展につながったことは言うまでもありません。

土井戦治氏は、「人徳があった。粉骨砕身努力され、リーダーシップを発揮された。」
吉田 美稲氏は、「岡山市との合併の英断は、後世に評価される。今後は、健康で悠々自適に。」
小山 純一氏は、「清廉潔白、奢らず高ぶらず、誠心誠意、町民のため全力で尽くした。」
高谷市長は、「岡山市との合併を決断したことは、先見の明ありで間違いなし。政令市になっても悪いことは一切ない。
愛情溢れる土井氏の年を聞いて驚いた。私が72歳なので、あと2期はできると思った。瀬戸のためになることを今後もやりたい。」
と、祝福や感謝の言葉を述べられました。

主役の土井堅郎氏は、「今まで自分がやってこられたのは皆様の大変なご支援があったから。
特に合併については議会、住民説明会など日夜苦しんだ。政令市の中で瀬戸が活力のある地域として発展していくことを念願する。
そして今後は、この経験を生かし一市民として協力を惜しまない。今日は大変感激した。」と述べられました。

また忘れてならないのは、縁の下で支えてこられた千恵夫人の美しく輝いておられたこと!
妻として傍で励まし支え、目立たずそつなく・・・どれほど神経をすり減らされたことでしょう。
本当にお二人ともご苦労様でございました。
どうかお元気で、政令指定都市岡山市の中でキラリ輝く瀬戸町の発展を見守っていただきたいものです。
以下、サンクスパーティの模様を順を追い、特集にてお届けします。

開会挨拶
発起人代表
長島 洋 様
主催代表挨拶
合併特例区長
土井 戦治 様
主催代表挨拶
区長会会長
吉田 美稲 様
主催代表挨拶
後援会長
小山 純一 様
感謝状・記念品贈呈
記念品はデジカメ
来賓挨拶
岡山市長
高谷 茂男 様 
花束贈呈
ひまわりの会様から
ご本人挨拶
土井 堅郎 様
乾杯
万代 弘道 様
瀬戸町の
”一豊の妻”
千恵夫人
ご祝辞
岡山県議会議員
西岡 聖貴 様
オニビジョン
福島様からも花束贈呈
衆議院議員
逢沢 一郎 様
ご祝辞
逢沢議員、土井夫妻
高谷市長と・・
会場全員による
”ありがとう”コールに
熱いものが・・
閉会挨拶
特例区協議会会長
赤井 史人 様
終了間際のお二人
本当に感謝です。
名司会者
井本 冨貴子 様
土井 堅郎 様より
感謝のお手紙
お土産までいただきました。
存分に味わいます。


2009.2.21(土)〜22(日) H20年度公民館フェスティバル in 瀬戸公民館
公民館は生涯学習の拠点施設ですが、昨日の午後から本日終日まで、標題の公民館フェスタが開催されました。
これは、瀬戸・万富両公民館で学ぶ方たちが日頃の学習成果を存分に発揮する舞台です。
お琴、民舞、剣扇舞、アカペラ、詩吟、フラダンス、コーラス、民謡、大正琴、銭太鼓、フォークダンス、カラオケ、日本舞踊など
27団体、293人の出演者が緊張の中にも熱い演技を繰り広げられ、昨年より多い観客も拍手喝采を送っていました。
今後も益々精進され、来年も素晴らしい舞台を見せて欲しいものです。
いやはや出演者&関係役員の皆様、大変お疲れ様でした。
なお、この模様は後日oniビジョンでご覧いただけます。

これが看板です。 新任の合併特例区長
土井戦治様ご挨拶
菊水流剣詩舞の会
可愛い扇舞
ア・カペラ瀬戸の
素晴らしい歌声
初公開のすず心
新しい芸能ですね。
せとフラサークルの
見事なフラ


2009.2.17(火) 赤い池 in 赤磐市 & ジョウビタキ等 in 風んち
S新聞赤磐市版に赤い池のニュースが掲載されていましたので行ってきました。
穂崎の松尾池というところで、さほどの大きさではありませんが、水面は真っ赤?
というより競技トラック場と全く同じ色の藻で覆われていました。
調べてみると、特定外来植物のアゾラ・クリスタータで、元々は無農薬栽培の稲作水田に入れて
雑草が生えないように水面を覆ったものらしく、それが鳥たちに運ばれて池面に繁茂しているようです。
夏ならともかく、厳寒期にこの様相では、気味が悪くてとても池とは思われません。
また、子ども達が土と間違え足でも踏み入れるとどうなるのでしょう?
動植物ともにいろんな外来種が日本種を侵食しており、自然界が先行き不安でなりません。

さて、メジロの撮影(後日特集を出す予定)にハマっていたら、ジョウビタキのメスがやってきました。
一所懸命毛づくろいをしている様子をご覧くださいませ。

松尾池が真っ赤。
小石を投げても
びくともしない?
IPU環太平洋大学の
麓の池も真っ赤
バックは建設中の武道館
ジョウビタキ(♀)が
やってきた!
うふ〜ん。
きれいきれいしなくっちゃ♪
こちらの羽も
お手入れ、お手入れ♪
ブレイク
金は無いが金のなる木に
花が咲いたよ。


2009.2.16(日) チューリップが春をお届け! in 岡山一番街
2月15日岡山一番外街に恒例の春の使者チューリップ約11,000本がお目見えしました。
一番街通路3ヶ所に約20種類の切花と鉢植えが彩り鮮やかにディスプレイされ、それはそれは豪華且つ可憐です。
通行人は携帯やカメラでで写真を撮ったり、感嘆の声をあげたりと一足先早い春を存分に楽しんでいました。
23日頃までだそうですので、蕾があるうちに是非訪れてみてくださいね。

2009.2.15(土) 河合敦氏講演会「目からウロコの日本史」 in 岡山県生涯学習センター
「晴れボラ・フェスタ」記念講演会が開催されたので参加しました。講師はTV「世界一受けたい授業」でおなじみの河合敦氏。
河合氏は現役の高校教師として日本史を教えるかたわら、多数の著書を執筆し、
難しい日本史をわかりやすく教えることをモットーとしておられるそうです。
講演内容は割愛しますが、TV出演するいきさつに始まり、かつて日本史の教科書に掲載されていた源頼朝像や足利尊氏像が
実は本物でなく違う人物であったことから、前に「伝」がついたことの検証。
聖徳太子像も実際には存在しなかったのでは?ということから厩戸皇子(聖徳太子)になり教科書から消えた。
蒙古襲来絵巻も江戸中期以降に描き直されたものだとか、”生類哀れみの令”を出した暴君5代将軍徳川綱吉は、
実は社会福祉の政策をやりその人物像が見直されているとか・・・
また、鎖国についても驚くべき事実を教えていただきました!
いやはや、まさに目からウロコの講演で、今の日本史の教科書を読んでみたくなりました。
最後に河合氏は、何が残念と言って高校の授業で日本史が必修科目でなくなったこと!
自国の国の歴史を語れる人は、外国に行っても尊敬されるのに、
小中で日本史を勉強しているから高校では必修でなくとも良いとのお上のお達しを深く嘆いておられました。
今まで自分が知っていた歴史は、専門家の研究によりどんどん変化していることを強く自覚させられた講演会でした。

岡山一番街
メイン通路
すごい!すごい!
JR岡山駅
地下改札付近
お見事!
見頃のチューリップと
蕾をアップでどうぞ♪
春の使者にふさわしい
飾りつけですね。
2/15
河合敦氏
講演会のパンフ
2/15
講演会終了後の
サイン会。


2009.2.12(木) 「転ばぬ先の杖」教室No8 in 江尻親和CH
江尻区福祉委員会主催の今年度最後の健康教室が開催されました。
本日は、西大寺ふれあいセンターから河本慶次先生(体育指導員)をお招きして日頃の運動がいかに大切か、
健康寿命を保ちPPK(ピンピンコロリ)で天寿を全うしましょうとのお話をうかがった後、
ストレッチ体操、握力・立体前屈測定をし、昨年開始時と比較して終了しました。
また、以前河本先生が見せてくださったジャグリングをリクエスト♪
テニスボールとりんごを使用して見事な離れ業をご披露いただき、拍手喝采の渦が湧きました。
お世話になりました役員の皆様に深く感謝いたします。
なお、この模様はoniビジョンでもご覧いただけます。

河本先生のお話
ふむ、ふむ、なるほど。
マットの上でストレッチ
う〜、こ、腰が・・
終了後のインタビュー
ニューフェイスで〜す。
テニスボール2個と
りんごが回転中
あっという間に
りんごをかじる!
ブレイク
火災で修理中の親和CH


2009.2.9(月) 芝焼き in 後楽園
岡山後楽園で恒例の「芝焼き」が行なわれ、初めてこの行事を鑑賞することができました。
本来なら2月4日の予定でしたが、前日の雨で本日に変更となったのです。

今日の天気は春を思わせる暖かさ、午後からの雨が若干心配されましたが天が後楽園に味方しました。
 法被姿の作業員が、竹ぼうきに油を染み込ませたたいまつで約1.8ヘクタールある芝生の外周に順次点火。
炎は波のようにうねりながら、見事な黒い曲線模様を描いて中央へと燃え広がりました。
カメラマンはじめ見物客はおよそ1,000人。
芝焼きは害虫駆除や、新芽の発育に役立つそうですが、芝と火が織りなす見事な芸術作品を存分に味わってきました。
初めての参加で、どこをどうやって撮影すれば良いのか分かりませんでしたが雰囲気だけでもどうぞ。

いよいよ点火の瞬間
いっせいにカメラが狙う
黒い火の帯が
伸びる、伸びる。
烏城も炎上?
煙が目にしみるよ〜。
風も竜巻で
芝焼きを演出♪
次の場所へ移動
また次の場所へ・・
火の勢いがすごい!
外周から中心へと
炎が進む。
池に向かい火が走る!
もしもに備え消火車も
茅葺屋根に燃え
移らないよう消火も
黒の絨毯が完成
春の新芽を待つばかり


2009.2.7(土) 南方遺跡発掘現地説明会 in 岡山市南方1丁目3-30
岡山市教育委員会(岡山市埋蔵文化財センター)主催による標題の現地説明会に10時から参加しました。
午後からは、岡山城本丸下の段の説明会もありましたが、これは風の都合で断念。
南方遺跡の発掘調査は、平成23年度開校予定の後楽館中学・高校が建設されるため行なわれており、
ちょうど旧国立病院の目の前に位置しています。
南方遺跡の概要は省略しますが、現地の南半は弥生時代中・後期から古墳時代の堆積が検出、北半は柱穴群、土壙などが見つかり、
中央部では微高地と低地を区画するように弥生時代中期から古墳時代にかけての各時期の溝が北西から南東方向に流れており、
この調査地点が南方遺跡の集落域の南端部に位置していることが確認できたそうです。


現地説明会には、風の推定では約80人位は参加していたでしょうか。
出土品は、壷、甕(かめ)、高杯(たかつき)等土器類や石鏃、石斧、石包丁、石錘などコンテナに100箱位とか。
その一部を拝見しただけでも約2,000年前にタイムスリップでき満足して帰宅しました。

発掘調査地のほぼ全容
旧国立病院(右後方)、
南方保育園(左後方)を
バックに・・・
実際に現地に降りて
説明を聞く。
中央は微高地と
低地を分ける溝
発掘品の一部
石のやじり、石斧
耳環にご注目ください。
弥生時代中期の土壙
大型貯蔵穴と見られる。
ブレイク
節分にケーキ屋
(奉還町)が
販売の恵方ロールです。
新聞にも報道された!
中は苺、キウイ、桃。
甘さ控えめで美味♪


2009.2.6(金) 「現代葬儀事情」 in きらめきプラザ
岡山県消費生活センター主催の標題の講座を聞きに行ってきました。

葬儀費用はどうなっていて何がいくらかかるのか?
はっきりとその価格の実体を知っている人は少なく、一方同じ葬儀内容なのに葬儀社によって大きな価格差があるのが現状です。

このように不透明な部分が多い葬儀業界(特に不明瞭な葬儀費用)。
誰にもかかわりのあることなのに、消費者側に立った相談窓がありませんでした。
そんな中で葬儀現場を支えるメンバーが中心になって一般消費者に わかりやすくアドバイスできる
NPO法人『葬儀費用研究会』が社会的必要性から生まれました。


という冒頭のお話から、以下のようなお話をお聞きしました。
葬儀といえば不意にやってきて、わけのわからぬまま49日を迎えるのが世間一般のようです。
平素から心がけておけば良い点をユーモアを交えてお話いただきましたが、考えさせられることも多い内容でした。

講 師 NPO法人 葬儀費用研究会「現代葬儀事情」の要点
NPO法人
「葬儀費用研究会」
代表理事
西口 和憲 先生


何か相談があれば
↓へ。

皆さん、こんにちは。私は大阪からやってきました。せっかく話を聞きに来てくださった皆さんに何かお土産でもと思ったがお位牌や骨壷を持ってくるわけにもいかず(笑)、話をプレゼントさせてもらいます。
まず皆さん、両手を組んでみてください。その時、右の親指が上になるか左が上か、どうです?だいたいは6対4で右が上になります。病院では、亡くなるとナースがこの手を組みます。逆にしてみてください。なんとなく違和感があるでしょう。
例えば今日13:30に皆さんが亡くなると葬式は明後日、明後日が友引だと明々後日の葬式ですね。亡くなっているとは言え、微動だにせず3日間、逆の格好をさせておくのは、おかしいと思いませんか。
そんな話をきっかけに葬儀の話を家庭でできるようにするところから、今日の話を進めたいと思います。
1998年の厚労相の調査によると、こういう話の途中で寝ると「晩年、良い死に方をしない」そうですから絶対寝ないでください。(笑)

さて、葬儀費用はやっかいなもので、日本消費者協会の調査によると遺体の搬送から初七日までの費用がどのくらいかといえば全国平均で237万円、東京が256万円、中国地方が203万円、大阪が230万円である。しかし、これがNPOに相談することにより105万円位になる。
「祭壇一式」が200万円となっていたらくせものである。司会・進行料が50万となっていても高い。例えば車の修理等においても部品、工賃、台車のレンタル料など細かい明細となっている。葬儀も一つ一つ細分化するとよく分かる。例えば3つに分けたらどうか。@買ったもの(菊など)、A借りたもの(祭壇)B人件費(寺、司会者など)になる。こうすると高いか安いか少しわかりやすくなる。

これは大阪での例だが、マンションの8階から4歳の子が転落死した葬儀では、”精進落とし”を子どものためにマクドナルドで行なった。およそ精進落としには5,000〜6,000円かけるのが普通のように思われているが、大阪などでは1,500円でも結構良い料理ができる。今のやり方をもっと自由に柔軟に考えたら良いと思う。

また、一般葬では50〜70人の会葬者が多いが、最近ではお通夜に来る人が多く、会葬へ来る人が少なくなっている。
「湯灌」というのがあるが、皆さん映画の「おくりびと」は見ましたか?あれは納棺師の映画だが、古式の納棺の仕方で、肌を一切見せず拭くというやり方。最近は介護技術が進み、小さな風呂桶を家庭に運んで、できるだけ肌は見せずに家族も参加して洗うやり方もある。病院ではナースがアルコールで拭いてくれる。湯灌を希望するのは1割あるかないかで6〜10万円で販売されている。

次に皆さん、葬式費用は平均どのくらいかかると思いますか?(会場からは200〜300万円の声あり)、また自分の葬式にどのくらい払ってくれと書き残しますか?(100〜150万円の声あり)
ここで一言、どんな立派な祭壇を作ろうと焼香する人は写真しか見ていないので、写真については良いものを飾ってくださいよ。

平均的葬式費用と自分自身はいくら払うかは、本当は一緒でなくてはならない。例えば車で言えば、だいたい150万円位の車を買う人が多いとすれば、自分も買い換えるとしたらそのくらいのを買う。葬式も同様になるはずだがそうはいかない。葬儀は、自分では遠いものと思っているから知らず知らずのうちに200〜300万円を認めている。

何故このように葬儀の費用は高くなったのか?
@知識がないこと、A葬儀の現場は急にやってくること、値段を調べている時間も無くじっくり計画できない。B売り手(葬儀社)が営業できないことである。
売り手が一番営業に行くのは大病院で、かなりのお金が病院へ流れているそうである。また、我々がどこかで費用を高くしているのである。
こんな話があります。豪華客船が遭難した時、誰を一番に救出するかと言えば、子ども、年寄り、女性の順番で若い男達は後回しになる。船員はこれを若い男に納得させなくてはならない。世界中の人が乗っているが、ドイツ人なら「法律で決まってます」といえば良い。騎士の国、イギリス人には「ジェントルマンでしょ」と言い、自由の国アメリカ人には「ヒーローになれますよ」といえば一発で納得する。
一番やっかいなのが日本人と思われるがこれが簡単、「皆さんそうされてます」でOK。大体の人がバタバタの中で「平均でいいわ。」と葬儀社に言えば、「皆さん、120万円の祭壇を考えておられますよ」と答える。この「平均でいいわ」の歴史がずっと続いているのである。

私は値切れと言っているのではなく、知識を持った上で葬儀社とじっくり話して決める。「任せます」という言葉だけは言わないで欲しい。
そのためにはどうすれば良いか?
@日頃から「もしも」の話をする癖をつける。
A写真は用意しておく。(例えば医者が、この一月がヤマ場ですのメッセージをくれたら、その人らしい写真を捜しておく。
Bヤマ場といわれたら事前に葬儀社に接触しておく。(何社か)

”備えあれば憂いなし”である。またNPOなどの相談窓口の活用する。そして自分の中で「NO」と言える選択肢が必ずある。とにかくしっかり尋ねる事もポイント。
とかく日本人は世間体が気になるが、自分の意見を持ち、一歩踏み出す勇気を持つことが大事である。

NPO法人 「葬儀費用研究会」は、24時間相談受付をやっています。ちょっとした、香典等のこと葬儀・仏事のことなどありましたらフリーダイヤルですから、どうぞ。



2009.2.1(日) 「いつもチャレンジ精神で」草野 仁 講演会 in 赤磐市立吉井公民館
赤磐市主催の平成20年度文化講演会に参加しました。
本日の講師は「世界ふしぎ発見!」の司会でおなじみの草野仁先生。
体格の良い先生は、にこやかに登壇され、スピーディかつ解りやすく楽しくお話くださいました。
「いつもチャレンジ精神で」のタイトルどおり、先生が日常の様々な事にどれほどの力を注いでおられるか、
また自分が適正と思っていること以外にも、複合的能力があること、年齢に関係なくやりたいと思ったときが適齢期であること等
大変興味深いお話で、あっという間に時間が過ぎました。
そして、講演終了後は、直筆の色紙やヒトシ君ストラップを抽選で15名づつ渡されるなど心配りも相当でした。

以下、講演内容をメモした限り載せています。
毎度、誤字、脱字、聞き違い等多々ありますが、ご興味のある方はご一読(二読、三読でも・・)くださいませ。

講 師 「いつもチャレンジ精神で」講演要旨
TVキャスター
草野仁氏
プロフィール
S19年旧満州生まれ
東京大学文学部卒業
S42年NHK入社
「ニュースセンター9時」
「ニュースワイド」等で
キャスターをつとめる。
その後、オリンピック
などのスポーツ実況
中継を担当。
S60年NHK退社、
フリーTVキャスター
として活躍中

現在、TBS
「世界ふしぎ発見!」
テレビ朝日
「草野☆キッド」

放映中
皆さん、こんにちは。私は岡山市へは数回行ったことがあるが赤磐市は初めてです。新しい場所を訪れるのは楽しみで、知らない場所に行くと新しい方と知り合いになれ、それが財産になり幸せになる。赤磐市出身の芸能人に大阪の「ねずみ先輩」がおられ、昨年2度仕事をやった。彼は人生体験を積み、話術も良く、私と近い人間と感じられた。

さて、私は昭和42年に取材記者、放送記者になりたくてNHKの入社試験を受けた。ところが、採用通知を見るとアナウンサー採用で、これはNHKのミスかもしれないと思った。私は長崎出身なので標準語もできない。NHKにも尋ねたが、間違いは無かった。
私の同期は88人おり、新人研修所で2ヵ月半缶詰で研修を受けた。そのうち、アナウンサー採用は16人いたが、聞いてみると、希望を出してアナウンサーに採用されたのは1人だった。
さて、アナウンサーの研修は、発声、発音、アクセント、イントネーションあるいは、ちゃんとした司会ができるよう、多くのジャンルに通じるよう訓練を受け、テスト、テストの連続であった。
研修を終えて私は鹿児島放送へ赴任した。およそNHK地方局には8人のアナがいる。そして先輩アナは新人に何をやらせるか悩む。なるべくやさしく間違うおそれのない簡単な仕事は何か。それは、美しい公園などの風景をバックに読む天気予報である。
「明日の天気は晴れのち曇りでしょう」。ところがこの原稿は、読んだとおりに書いてあるのではなく、膨大な情報量で、今日、夜、明日の情報が8〜9個位、それも文章ではなく記号が多い。例えば○の中にハと書けば晴れ、クは曇り、アは雨である。後輩の松平定知アナが高知地放送に新人として赴任してきた時のことだが、先輩は研修所での彼の成績とかやる気等知った上で、一人一人がアナウンサーの心構えと自分の経験談を話すのである。
そして赴任当日、主任キャスターが天気予報の仕事を与えた。ドキドキしながら松平アナは「東部地方の天気は、今夜南西の風、晴れのち曇りでしょう。」ここまでは良かったが原稿に余分な一行があった。明日の天気は○ハ、のち○ク、一時○ニ。○にニは聞いていなかったので「明日の天気は晴れのち曇り、一時虹がでるでしょう。」と言った。後にも先にも虹が出ると言ったのはこれだけで、本当はにわか雨だった。(笑)

天気予報が読めたら、次はニュース番組になる。夕方の”ニュース7”は午後3時頃から準備に入り、放送される可能性のあるニュースについて、出先の原稿を読む。そして時間の計算、内容のチェックをし、メニューを決める。出された原稿は詳細に書いてあり長いが、エッセンスをくずさないよう1/2〜1/3に削る。95%位はここで作成したものが放送されるが、時々、新しいニュース原稿が飛び込んでくる。これを”つっこみ原稿”というが、初めて眼にした原稿をミス無く読むのも重要である。何年かニュースアナをやると、右目で文章を読みながら左目で数行先の流れを読めるようになってくる。
しかし、”つっこみ原稿”がパソコンで書いた字なら良いが達筆、草書体になると困る。ある日、中堅アナが担当の時、交通事故のニュースが入った。「国道426線でマイクロバスとタクシーが正面衝突!この事故でバスに乗っていた土人がケガをしました!」と放送した。土人など想像できない話だが、実際は十一人と縦書きに書いてあったのが読めず、アナもあせって悩んで土人になってしまった。(笑)

また、スポーツアナの実況中継もするが、これも動きが早く難しい。
30年以上前の話になるが、アジア競技大会がバンコクで開催された時、入場行進が始まった。バンコクの様子もうまく伝え、いよいよ日本人選手団の入場にアナの声も一段と高まった。「日本選手団の入場です!男女ともいずれも赤のブラジャーを着けています!」と言った。本当は”ブレザー”と言うつもりだったのに・・・(笑)

アナウンサーの仕事で何が難しいかといえば、インタビューである。時間が限られるし、雄弁・能弁ばかりの人はいない。この人の胸の気持ちを引き出すにはどうしたら良いか?時にはアナがテンションをあげてインタビューが空回りすることもある。
反省だけが残り、完成することがないのがインタビューである。

以前、10:00〜11:00は教育番組が多かった。3台のカメラを設置し、評論家とアナとに一台ずつ、ツーショット用に1台、そしてカメラの足元にはカンニングペーパーがあり、フロアマネージャーがいる。例えば「残り時間は3分ですよ。」とメモを出す。その番組は順調に進んでいたが「そろそろ話をまとめてください。」との紙が出た。
区切りが付いたところで、アナが「今日は教育の現場からいろいろと・・」で止まった。本来なら評論家の姓名を言って終わるはずなのに、あろうことかアナが名前を忘れてしまった!この場合、おたおたするか、ピンチを切り抜けるか2つのパターンがある。このアナは”最後にもう一度自己紹介をお願いしましょう。”とずうずうしく締めくくった。(笑)

NHKのアナウンサーは全国に500人くらいいるが、5〜10年やって東京に行けるのは5人に1人である。わが身を振り返ると長崎から出て42年、自分の適性は取材だと思っていたがアナをやる中で、なんとかやっているうちにここまで来て、実は自分には話し手の能力もあったったのではないか、
自分を客観的に見て適正に向かうのも良いが、細かく調べると他にも恵まれた才能を複合的に持っていることに気づいた。

ある銀行の頭取が、新人の頃、支店長に「契約を取って来い」といわれ、一回目断られた。支店長は次も行け、まだ行けと。そして5回目で「お前、また来たのか。その意気に免じて契約してやろう!」といわれた。営業には向いてないと思っても、案外真面目で良いとか言われる。この新人はそれから銀行の仕事の面白さに目覚め頭取までになった。
人間は結構、いろんな才能を持って生まれている。100%チャレンジしてだめなら、次の分野にチャレンジすることだ。

話し言葉を使って気持ちを伝えるのは大事で、自分が心に受け止めたものを自分の言葉で相手に伝える。いくらでも工夫の余地がある。
例えば無二の親友の結婚式でスピーチを頼まれたら、二人の間の出来事の中から友人の人間性などを自分なりの表現で命を吹き込んでやろう!また、折りに触れて自分なりの言葉使いをする。努力すれば1年もすると、あの人の発言が変化したと言われる。常にフレッシュに伝え上手、話し上手になれると確信している。

家庭においても小さい時からきっちり発言できる環境を作ればお互いが何を考えているのか解る。心の実像を読み取ればコミュニケーション不足により起こる不幸は解決でき、悲劇は防げると私は思う。

さて、23年続いている「世界ふしぎ発見!」は4月で24年目に入り、皆様に心より心よりお礼申し上げる。番組制作に当たっては、親子そろって楽しめる番組でテーマは歴史と決めた。歴史に関心を持っている人は多いが、詰め込み教育の授業では、年代と年記の覚えになり面白くない。
例えば5000年前のエジプト人と比較し人間性や、スケール、愚かしさ、あるいは一致団結の点ではどうかなど。

一致団結といえば、かつてアポロ13号を打ち上げた直後、酸素供給システムに異常が起った時、アメリカはあらゆる分野の専門家を10,000人集めて短時間に修復し、乗組員3人は無事に生還したというニュースがあり、アメリカはすごいと思った。
そういうネタにしてクイズ形式で遊ぼう、そして他には絶対出演していない黒柳徹子を選ぼうということになった。交渉に行ったが彼女はクイズ番組は、ずっと出演するとこんなことも知らないのか?と言われるから出ないと言った。我々はこれはクイズ番組ではなく、どう考え、どう行動したかなど、多様性が命の番組であると説明した。1週間後、出演しますと快諾を得た。
当時52歳の黒柳は、自分が蓄えた知識、レベルはどのくらいか?ユニセフや難民問題は良いが、科学など小学生にも及ばないものがあり、歴史、地理は自信がないと言った。
ゆっくり積み重ねてゆくうちに知識の縦糸と横糸がつながり知識の体系ができる。そして彼女は、番組の1週間前に大まかなテーマを教えて欲しいと言った。他の回答者にもそれは連絡することにした。
私は、黒柳は大変忙しいので事前勉強はできないと思っていた。「古代ヨーロッパ」というテーマの時、黒柳は文献を3冊徹夜で目を通し充血した眼でやってきた。単なる口約束でなく、知識の体系を築こうとしていた。赤坂の図書館、有栖川図書館で本を借り、5〜6冊は読み、23年間、1,100回分勉強している。

「音楽界について」というテーマでは16冊も読んだとか。それが黒柳徹子の本当の姿である。中には、答えを教えているんだろうという質問もあるが、ヒントは与えるが答えは決して教えないのだ。彼女こそスーパーウーマンで52歳から現在の76歳まで、記憶力も集中力も衰えたとは、私は一度も感じていない。番組収録が済むとレストランに行くが、一番にメニューを取り、皆の注文を聞いて、全部暗記して注文するのである。彼女は早食い、大食い、超甘党であり、食べている間中喋っている。
早食い、大食い、超甘党なのにスマートなのは何故か?例えば月、火は「徹子の部屋」を3本収録、その後19:30〜23:00に「世界ふしぎ発見!」の収録を2本、その後、何故4問中2問しか正解しなかったか負け惜しみの弁を話したがる。聞かないと機嫌が悪くなる。そして「ベストテン」があったころには、更にこの関係者に不思議の話をして仕事をし次の朝5:30になる。16〜17時間TVの仕事をしている。
知り合いがいればしゃべり、知らなくても喋る。だからカロリーもストレスも消費しているのだ。大山のぶよ曰く、真実は、玄関に大きな姿見があり、ドレスや宝石を合わせながら鏡にも話している。この人こそ話すために生まれてきたのだ。この活躍は、不足しているもの、その実像を見極めたら必ずやることで、芸能界広しといえどもいない。

もう一人のレギュラー板東英二はS33年、徳島商業高校の4番でエースとして甲子園に出場、そして2回戦で18回延長まで投げぬき翌日の再試合で勝ったが結果は準優勝だった。彼は慶応大学へ進学したいと思っていたが兄の死や父親の商売不振で進学を断念。すると中日ドラゴンズが風呂敷に2,000万円包んでスカウトに来た。今なら3億円である。長島も王も1,800万円で巨人に入団、ONより200万円も多く評価を受けた。(が、王の話では、中日なら自分は4,000万円だったとか。)板東は実は、既に右ひじに痛みがあり、野球をやめても良いと思っていたが、家庭の事情で入団した。治療もなかったので自転車のチューブを固く肘に巻きつけ投げた。だがその投球は中盤から打ち込まれることがあった。やがて板東の投げた手が左の膝に当たり再起不能の粉砕骨折し、11年の野球人生に幕を閉じた。

板東は、収録の後、「草野さんがいい突込みをしたのに乗れなかった、乗れていたら番組がはじけるのにごめんなさい。」と言う。番組全体がおもしろく輝かない限り板東も評価されないと言う。客観的にクールな目で見ながら頑張っている。団体スポーツを痛みに耐えながらやった不倒の精神がある。こうして黒柳、板東両氏が番組の両翼を固めてくださっている。

私は海外取材もやったが、日本人とは何か?と考える人も多い。西洋から見た目として、ザビエルは「国民のレベルが高い、礼節を重んじ、自然と調和している。こういう国で布教するなら、宣教師もレベルの高い人を送るべし。」と述べた。
またシーボルトも激賞した。尊敬の念を持ち識字率も高いと。当時寺小屋は10,000以上あり、7〜8歳で読み書きそろばんを8:00〜15:00までやった。休日も50日だった。それも自発的学校で。今はどうか、休日は150日位あるのでは。シーボルトはすごいレベルの国民だと言った。今の日本はどうか?

最後になるが、日本人は全ての人が自分と周囲の年齢に細かい神経を使っている。あらかじめ周りの年齢を認知することはプラスに作用する反面そうでもないことがある。例えば、50歳の会社の部長が英会話ができたらなぁと思った。「いや、待てよ、俺は50歳か。若い時ほど集中力がない、やめようか。」となる。
今や人生90〜100年代となり、
人生を生きる充足感を味わう宿命の時代となった。だから年齢は阻害する要素ではなく、思い立った時が適齢期なのである。
そしていったんやり始めたら途中で投げ出してはいけない!先生の教えてくれなかった発見こそ、自分自身の発見で、最後まで仲良く頑張ると生きるための充足感がある。
成功者とはえらくなることではない。
真の勝利、成功は命を終える時に”自分も結構頑張った。”と思える人が真の成功者なのだと思う。

一月 隣人と闇のつづける若井くむ(本多静江)
元旦に汲む水であるから、初水とも言われ、昔の家々や今も山里などでは井戸からくみあげるそれだったから若井という類語でもよばれる。
元日もまだ暗いうちに井戸釣瓶(つるべ)で水を汲みあげる。
茶を沸かす水も雑煮もつくるそれも、この心新しい水を用いて年を迎えようとして高々と汲む。
すると隣でも同じく水音を立てて若水を桶にたたえる音がする。
しかし闇は、まだ深くその姿は見えないで、お互いの間には闇が続いているばかりである。
浄闇(じょうあん)ともいうべき寒く漆黒の闇を隔てて、
音だけがその中に高々と聞こえて汲み合っているという元朝の情景と凛々とした気持ちとを、中七の巧みな表現によって味わい得る。


2009.1.28(水) カセキッサ in アートボックス サラサ(岡山市表町)
昨年(6/19)、林原自然科学博物館の恐竜頭サロン「カセキッサ」
10/18の瀬戸町公民館主催の「モンゴルゴビ砂漠に恐竜を追う」というニュースを載せましたが
2度目の「カセキッサ」のご案内が届いたので行ってきました。
今回は、「恐竜のこどもとたまご」がテーマ。
”恐竜はどうやって生まれたんだろう?生まれたときは小さかったのかなあ?・・・”などなど。

表町の小さなスペースですが、中に入ると太古の恐竜の卵や赤ちゃんの化石等13点が展示してあり、ロマンが無限に広がります。

また、本物の卵の化石を手に触らせてくださり、説明もとても親切でした。
モンゴルゴビ砂漠で発見された化石展示の会期は2月2日まで。皆様お見逃しなくね♪

会場の「サラサ」
表町2-2-46
ケースの中は本物
今にも生まれそうな
化石の発見は2例目とか!
これはレプリカ。
恐竜の卵の中は
こんなだった。
プロトケラトプス
巣の中で一緒に
化石になった子ども達
巣の中の卵の化石
2個ずつ円を描いて
産み付けられた。
ティラノザウルスの頭。
でっかいぞ〜。


2009.1.24(土) 津軽名物 スコップ三味線 in 高島屋
スコップとセンヌキを津軽三味線と撥がわりに使い、音楽に合わせて真似をして演奏するスコップ三味線の実演を初めて見ました。
目下、岡山高島屋では「青森県の物産と観光店」でにぎわっていますが、1/24〜25日、日に2回、このスコップ三味線の実演があります。
スコップ三味線は、1985年頃、青森県五所川原市在中の舘岡屏風山(家元)さんが、
当時スナック店長をしていた時、飛び入りの生バンド演奏で「ホウキギター」のパフォーマンスを見、スコップ三味線を発案したそうです。
その後、余興として爆発的にヒット!青森県の観光推進課でもPRを行い、今や全国的に有名となりました。
家元の屏風山さんが、20数年間に直接指導をした人は、2,500名を越え、「スコップ三味線世界大会」も既に2回開催されたとか。
スコップ三味線の特徴は、特に楽器演奏の技術は必要なく、
本当に弾いているように見せるには「叩き、リズム、見せ場等」と言ったところに熟練のワザが必要だそうです。
家元が言うには、TVでやっているのはレベルUまで、今日はレベルVまでお見せしますと、それはそれは見事な演奏ぶり。
観客にもスコップを配り、実際演奏してもらうなど楽しい催しでした。

宴会芸とはいえ、日々の訓練は欠かせないとの事。風もチャレンジしましたが、すっかりハマってしまいました♪

観光協会の
美人がご案内です。
イメージキャラクター
「決め手くん」の
ダンスショー
演奏用スコップの数々
箱の中には津軽塗りの
三味線が・・・
家元の演奏が始まった!
わ〜ぉ、すごいうまい!
スコップのシールもご注目
オバマ大統領より
大きく載った
新聞記事もご披露
参加賞のシール。
スコップを買ったら
貼りなさいと。


2009.1.23(金) 牛の雪像がお目見え等 in JR岡山駅前
恩原高原スキー場で31日に開催される「氷紋まつり」のキャラバン隊がJR岡山駅前でPR活動を行っています。
同町から6トンの雪を運んで製作した牛の雪像が登場しました。(昨年はネズミ)
その雪像は背中から尾の部分が滑り台になっており、園児らが楽しそうに滑ったり、雪だるまをこしらえて楽しんでいました。
 その外、上齋原、奥津、のとろの「鏡野三湯」から湯を運んで足湯も再現されています。
雪像が溶けないうちに、是非訪れてみてくださいね。

また、岡山駅南地下道(グランヴィア「から市役所方面への地下道)にはアートロード展が開催されています。
この地下道、あまり人が通らず、夜などは別名「恐怖の地下道」とのウワサもありますが、楽しい芸術作品が展示されていますよ。

6トンの雪で干支の牛が
登場しました!
こんな雪だるまも
作れるセットあり。
鏡野三湯の足湯
只今お湯を張ってます♪
アートロード展
一番惹かれた
「ショウショウ、エエガ」
同じく卵アート
ダチョウの卵が
こんな作品に!
ブレイク(瀬戸町)
ハシビロガモがきたよ!
遊泳中と餌取り中の♂


2009.1.18(日) 第44回瀬戸町グランドゴルフ大会 in 瀬戸町総合運動公園
雨が心配される本日、標題のGG大会が開催されました。
我が江尻親和クラブは13人がエントリー♪
およそ100名が参加したと思われますが、開会式、諸注意の後プレー開始のホイッスルが鳴りました。
あちこちで歓声、悲鳴、嬌声が上がる中、3ゲームが終了。
後は結果待ちです。すると、おらがクラブのHさんともう一人が同点首位!
で、二人が争ってHさんは準優勝となりましたが、清酒2本セットをゲット。
風は70位争いで、ホールインワンを出し70位はも〜らい♪と喜んだのもつかの間。同クラブのSさんもホールインワン!
こんなのあり?で、再度二人で争った結果、風は負けてしまいました(涙)
その後は江尻親和CHにて、戦利品を差し出し、各々本日の武勇伝を語り合って散会しました。

2009.1.17(土) 埋蔵文化財講座 in 岡山市埋蔵文化財センター(岡山市網浜)
岡山市埋蔵文化財センターにて「遺跡が語る岡山の歴史:備前国府・備中国府はどこに?」と
「陣場山遺跡(瀬戸町旭丘)」の講座が開催されたので参加しました。
国府については、発掘調査及び過去の文献による推察から、備前国府は現高島公民館付近、
備中国府は足守川中流付近ではないかとのミステリアスなお話をお聞きしました。
が、何と言っても一番聞きたかったのは、地元の陣場山遺跡のこと。
旧瀬戸町教育委員会がS47年から49年に発掘調査した内容を詳細に職員の岡本氏が語られました。
町史に載っているとはいえ、その内容は生々しく、興味深いものでした。
過去の歴史は、多くの事を語り、想像を膨らませてくれる、そんなロマン漂う講座でした。

1/17陣場山の元の姿
建物は光軽金と
職業訓練校
1/17講師の岡本氏が
熱く語る。
瀬戸町在住だもんね。
1/18GG大会開会式
早くプレーがしたよ〜。
ゴールを狙うぞ!
行けぇぇ〜〜〜。
準優勝のH氏を囲んで。
おめでとう!
江尻親和CHに移動
かんぱ〜い♪
これが一番の楽しみ?


2009.1.13(火) 可愛い訪問者 in 風んち
庭に可愛い訪問者がやってきています。
最初は、なんと言う名前の鳥かと思いましたが、じっくり観察するとシメの♂のようです。しめしめ・・
大急ぎでカメラを取り出し、お姿を撮影させてもらいました。
シメは、スズメ目アトリ科、雀よりふたまわり大きく(18〜19cm)、ずんぐりしていて、頭上と頬は茶褐色、背は暗褐色。
目先との喉の小斑が黒く、襟巻きのように灰色の部分があり、冬鳥として飛来、
くちばしで木の実を割って食べるそうで、よ〜く耳を澄ませると食べている音も聞こえました。
実に愛嬌のあるお顔、たちまちシメのファンになってしまいました。

おや、キンモクセイに
不思議な鳥が・・
次は梅の古木で
あたりをキョロキョロ
お口に何か
くわえているよ。
続いて地面で
ごちそうを探す。
あった、あった!
何の実があったの?


2009.1.10(日) 新春初打ち in 江尻レストパーク
半年ぶりにグランドゴルフの練習に参加しました!
今日は全国的にも大変さぶ〜い日。
それでも元気な中高年GG愛好者が12名集まりました。
”さぁ、新年じゃから景気づけにいっぱいやろうで〜。”とまずは、お神酒のサービス
乾杯の後は、新ルール(2打目からは、ゴールに入るまで打つ)でプレー開始!
また、今回からホールインワンを出した人は、親和クラブのため、100円差し出すことになりました。
その使い道は?なぁ〜んも考えていないとか・・・(ガクッ)
やんやのヤジの中、3ゲームを行い、各ゲームの一位には賞金(?)も出て、めでたしめでたし♪
来週は、大会もあり、今日の成果がどう反映されるか見ものです。

新年おめでとう!
かんぱ〜い♪
いただきま〜す。
お神酒はえぇのぅ。
さて、やるか!
ウィ〜、調子が良いぞ。
酔いが醒めぬ人? 風もホールインワンが
出たよ。(証拠物件)


2009.1.7(水) 「版と型の可能性2009」展 in 岡山天神山プラザ
地元の版画家や染色家、写真家といった「版」や「型」を使用して作品を制作する19人の作家の企画展に行ってきました。
80点に及ぶ作品がありましたが、今回は、完成作品ができるまでの過程に焦点をあて、作家オリジナルの「版」と「型」が展示されています。

これまで隠されていた作家の”秘密”を覗き見する興味深さもありますが、創造過程が明示されることにより、
作者の考え方もうかがえ新たな視点で作品を鑑賞することができます。(とパンフに記載)


会場には風の知り合いの伊永和弘氏の作品が展示してあり、その斬新さに驚いたこと、
また、造形作家の西平孝史氏(岡山駅〒ポストに寝転ぶ桃太郎像など)と一緒に写真を撮らしていただいたり、
版画で作品制作の体験をさせていただいたりとラッキーなことばかりありました。

会期は18日まで、無料ですので皆様もどうぞ♪

西平孝史氏作品
FPR製ウシの像
触っても乗っても良い
西平氏と一緒に。
この像は触って感触を
楽しんで欲しいと。
鳥越眞生也氏
版画の実体験で
こんな恐竜ができます。
伊永和弘氏
パンフより掲載
作品も白黒で斬新


2009.1.2(金) 美星中学校同窓会 in 大倉屋(井原市美星町)
昭和43年度卒業の標題の同窓会が40年という時をへだて初めて開催されました!
”みんな美星に帰って恋”という衝撃的な案内通知により、風は”早くみんなに愛た〜い”と参加の返事を出し、
そして、本日、
”ようそこ美星へ 地上の星たちよ”のキャッチフレーズで、皆さん(76名の参加)とワクワクの再会。
11時より記念写真、発起人代表挨拶、恩師(3名参加)への記念品贈呈並びにご挨拶、乾杯と続き、12時から歓談がスタート。
会場は、満天の☆が降るように思い出が降り、40年前にタイムスリップ、懐かしく楽しいひと時となりました。

そして、”お互いが還暦のころ、また愛(会い)ましょう!”と15時閉会。
お世話になりました発起人、世話役の同級生に心より御礼申し上げます。


なお、後日、プロの撮影による同窓会アルバムが完成しますのでリンクを貼り、皆様にご覧いただきたいと思います。

本日の資料
永久保存にします。
本日の料理
お土産は、
美星牛乳せんべい
全員による記念写真
それなりに美しく
年を重ねましたね。
旧美山小学校集合♪
現在は統合され
美星小学校に・・
最後は
”今日の日はさようなら”
大合唱
一番感動した恩師の
チャレンジ精神!
自転車で矢掛から。


2009.1.1(木) おせち料理2009バージョン in 風んち
皆様には明けましておめでとうございます。
旧年中は「風の午後」をご覧いただき心より御礼申し上げます。
今年は丑年、牛のように優しい瞳とゆったりとした気持ちで人生を歩みたいものですが、はてさてどうなりますやら?
皆様には素敵なことがギュー!(牛)と詰まった良き一年となりますようお祈りモウし上げます。

さて、おせち料理2009バージョンをUPしましたのでご覧くださいませ。
(と、えらそうにいっても例年とたいして変わりませんが・・・)

一の重
数の子、エビの黄身焼き
肉巻き、紅白蒲鉾、
きんとん、ぶりの照焼、
柚子蜂蜜漬け、田作り
二の重
茄子中華風、イカ黄身焼
オランダコンニャク、
エビしんじょ、梅卵、焼豚
エビとハスのつみれ、
三の重
煮物(くわい、椎茸、
揚、高野)、黒豆、
千枚漬、昆布巻き
手毬麩、梅麩
いただきま〜す♪
干支の置物は
吉田一也氏の作品です。
表町の門松新作展で
気に入り購入。
玄関の雰囲気が
変わりますねぇ。

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