風のひとこま

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10月 秋の田を刈るや白鷺人に近く(山口 青邨)
秋の田はすなわち稲の実って色づいた田んぼで、「田の色」などという傍題もある。
秋風のことを金風と呼ぶが、この稲田の黄金色を吹き渡ってくることなどから名づけられたのであろう。
稲田として詠めば、稲の実った田そのものとして句に成しやすいが、「秋の田」では、漠然としたところがあってとりつき難い。
しかし、この句は、ゆっくりと叙して「や」をもって切り、一変して緊迫した調べで詠いおさめているところ、情景さながらのさわやかさで読むことができる。
一羽の鷺が、おそれ気もなく、鎌を急がせている人に近々と白々と立っている情趣である。


2008.10.26(日) 伊予の小京都大洲を訪ねて in 愛媛県大洲市
岡山県知事選の投開票日である本日瀬戸町文化協会主催による標題の歴史探訪研修会が開催され参加しました。
今回は、臥龍山荘→おはなはん通り(昼食)→赤煉瓦館→大洲城→お殿様公園で5,000円という格安コース。
大洲市は人口50,700人、太古より舟運が発達し、物資の流通、交通の要所であり、
近世には城下町として発展し和紙や木蝋を生産、そして明治初期には製糸業が盛んになったそうです。
山並みや肘川の清流、歴史を感じさせる町並みなどから小京都と呼ばれ、「おはなはん」や「男はつらいよ」のロケ地となりました。
あいにくの雨で、写真もうまく撮れず残念でしたが、秋の小京都を存分に堪能してきました。

臥龍山荘(裏側)
大洲藩3代藩主加藤泰恒が
「臥龍」と命名。
幕末まで歴代藩主の
遊賞地であった。

臥龍山荘の不老庵
(茶室)
生きた槙の木を使った
「捨て柱」を基準に建築
おはなはん通り
江戸及び明治の
面影を残す町並みで、
S41年放送のNHKTVドラマ
「おはなはん」のロケ開催地
思ひ出倉庫(床屋)
S30年代のレトロ空間が満載
交番、床屋、雑貨屋、薬屋など
懐かしい風景を展示
大洲城
H16年、4層4階の天主を
木造で復元。
5億円の寄付や
地元木材の寄付など
市民の多大な協力により完成。

お殿様公園
旧加藤家住宅主屋
2階の3方をガラス窓とした
開放的な造りが特徴。
「男はつらいよ」の撮影地


2008.10.18(土) モンゴルゴビ砂漠に恐竜を追う in 瀬戸公民館
おもしろ科学教室・特別講座として、標題の教室が開催されました。これは公民館が小学生を対象に行なっているイベントですが
今回は大人もOKということで参加しました。
以前、表町で見た「カセキッサ」という企画に感激し、恐竜にロマンを感じていたのです。
講師は9月までゴビ砂漠で化石を掘っていたという林原生物学センター所長の鈴木茂先生。
先生は、パワーポイントで興味深い写真をお見せくださり、また分かりやすい語り口調で、ゴビ砂漠における化石発掘の様子をご紹介くださいました。
終了後は、本物の化石を一人ずつ手に持って触らせていただき、子ども達からの質問にも快く答えておられました。
写真が少ないのですが、ご興味のある方はご覧ください。


@講師(左)の紹介

Aサウロロフス

B調査隊のテント

C化石発見

D背骨など発見
Eモノリス法

F赤ちゃん15匹
G化石を手にとって
林原生物学研究センター所長鈴木茂先生 「モンゴルゴビ砂漠に恐竜を追う」 お話の内容


皆さん、こんにちは。この写真は、サウロロフス(写真A)と言い、長さが10m、高さが4m、角があり、頭の後ろが伸びているのが特徴で、7,000万年前の恐竜の化石である。
この化石がどこで見つかったか?それはモンゴルのゴビ砂漠で、ウランバートルという人口100万人の町から車で2〜3日かかる所である。ゴビ砂漠は冬、−30度になるので発掘は夏が良いのである。

さて、発掘に出かけるにはいろいろな準備が大切で、忘れ物をするわけにはいかない。まずタンクには水、食べ物はUFOやロシアのカップめんもある。そしてテントや発掘道具を積んで出発する。ロシア製トラック、日本製の四駆など使用。ウランバートル近くの道路は舗装だが、やがて土になり、地平線が見えてくる。川には橋が無いので水かさの少ない時に車で川を走る。トラックが溝にはまれば荷物を降ろしてワイヤーで引っ張ることもある。だんだん道は険しくなり植物もなくなる。発掘場所は、誰もわからないのでGPSを使用する。

いよいよ現地に到着すると大型テントや「ゲル」を設営。「ゲル」(写真B中央の白いテント)は、地元の移動用テントで、フェルトを貼ってあり、太陽光線をさえぎる。食事はこの中で行なう。では、寝るのはどこか?これは、一人ずつのテント(写真B周囲の青いテント)がある。トイレも風呂も無い。シャワーテントはあるが、トイレは自分で捜して行なう。温度は40℃にはなるが、日本と比べ湿度が低いので過ごしやすい。

ゴビ砂漠の自然だが、砂嵐が来ると何もできない。大型テントが壊される。だが、夕焼けや星空はとてもきれい。星が多くて、かえって星座が見つけにくい。また野生動物もいてロバ、ウサギ、ヘビ、ハリネズミ、トビネズミがいる。

調査1日目だが、化石を探すには「歩け、歩け」なのである。探知機は使用せず、化石が地表に出ているのを探すが、できるだけ表面が少しのぞいて地中部分が多い方が状態は良い。発掘道具は移植ゴテ、ハードナー、メス、接着剤、ハケなど。
この日サウロロフスの化石を発見!(写真C)

夜はどうしているか?
「ゲル」で夕食を摂るが、最初持参した肉は長持ちしないので食べ、その後は近くの遊牧民にヤギ、ヒツジを分けてもらう。まずは腐りやすい内臓から食べ骨付き肉へと、捨てることなく食べる。好き嫌いはだめ。

ここで、調査隊の5つの誓いを紹介しよう。
1、腹ペコのまま調査に行かない。
2、天気の良い日は寝袋を干す。
3、歩くときはさそりや毒蛇に注意。
4、他人の力をあてにしない。
5、飲み過ぎないこと(アルコール)。

2日目はサウロロフスの背骨、尻の骨など発掘した。(写真D)化石は大きなものばかりではなく、小さいものも大事で、哺乳類がこれにあたる。

では、壊れやすい化石をどうやって持ち帰るか?
小さいものは、化石の周りに石膏で包帯をする。ギプスを巻く様なやり方である。大きな化石はモノリス法(写真Eロシア法)これは木枠を組み、新聞を置いてすきまに石膏を詰める方法。そして出来上がれば、ころがしてロープをかけてトラックに積むが全て人力である。
サウロロフスの発掘に2週間かかった。

発掘した化石はどうなるか?これはモンゴルと日本の共同調査なので話し合い、2つに分けて日本に持ち帰る。
サウロロフスは骨だけにする作業をし、型をとってレプリカを作る。また化石を取り出す時に皮膚の化石も残っていることがある。例えば100円玉くらいのでこぼこがあり、復元する時に役に立つ。
この骨のそばに肉食恐竜の歯があった。歯にはギザギザがあったが、肉の筋など切るのに良いようにできている。サウロロフスの二の腕の骨には傷があり、この肉食恐竜がかじったのではないかと思われた。こんなことが化石のクリーニング作業の結果見つかる。

また、モンゴルで一番多いプロトケラトプス(1.5〜2m)は砂丘に住んでいたが、立った姿勢のままの化石も発見した。もしかしたら砂丘の斜面にいた時、砂嵐がやってきて砂に埋もれないよう首を出していたが、結局はその姿勢のまま動けなくなり、砂嵐にやられて死んだものではないか。

それから、プロトケラトプスの赤ちゃんの化石が15匹、同じ方向を向いてきれいに見つかった。(写真F)どうしてこんなききれいに残ったか?想像の話になるが、親が敵と戦っているのを巣で見ていた時に砂嵐がやってきて、そのまま絶命したのではないか。

小さい肉食恐竜シュブーイアは鳥と思われていたが尻尾が多い。鳥は尻尾が短くなっている。

ノミンギアの発掘では、尾羽根の先に尾端骨がついていた。この恐竜は鳥の祖先ではないが、小型恐竜は進化の過程で鳥になって生き延びているものもあるのではないか。

今日の話はこれで終わりだが、タルボザウルスの足の指の骨(写真G)を持ってきていますので、是非手に取り触ってみてください。


2008.10.13(月) 岡山市民文化大学10月講座
「笑いは心の栄養剤」 in 岡山シンフォニーホール
今日は体育の日。全国各地で運動会やスポーツイベントが澄み切った秋空の下で開催されたことでしょう。
風は、残り2回となった標題の講演会に参加しました。
本日の講師は、三遊亭楽太郎師匠。光沢のあるグレーのスーツでさっそうとご登壇。
さすが一流の落語家、次から次へと話が変わり、また、教養溢れる内容で場内は爆笑の渦。
剪定疲れのため、時折睡魔に襲われ内容がかなり怪しいのですが、おおまかな感じだけでも・・・どうぞ。

講師 「笑いは心の栄養剤」講演要旨
三遊亭楽太郎氏
プロフィール

1950年、東京生まれ
青山学院大学法学部
在籍中、5代目円楽の
目に止まり入門。
77年には笑点の
メンバーに抜擢された。
2010年に6代目円楽を
襲名予定。
ゲートボール歴は
25年以上。
91年、米m&N大学より
博士号を取得。
94年から中央福祉
医療専門学校の
客員教授で
教壇に立っている。

本日の看板です。






ブレイク
ランチはniki'sで
これはサラダ


牛すね肉の
赤ワイン煮

このほかスープ、
シャーベット、
飲み物があったよ。
皆さんこんにちは。三遊亭楽太郎です。今日ここにお越しの方は、連休にどこにも行けなかった可愛そうな人たちでご苦労様です。しかし、関係者はこんなに多くの受講生に気も狂うくらい喜んでいるでしょう。
東京から来る道中、何故私を講師に呼んでくれたか考えた。マーケティングリサーチしながら・・。おそらく市民文化大学の内容に一つくらい楽しい講演会があっても良いのではないか。じゃぁ落語家でも・・となり、紆余曲折を経て誰にするかとなった。じゃぁ、顔と名前が知られている笑点のメンバーにしようか。この世界は年功序列&縦社会なので、歌丸師匠だ。いやあの歌丸じじぃ師匠では、岡山まで体力が持つか?神戸あたりできっと倒れるのでだめ。次は林家木久扇、あまりにくだらないので却下。では誰にするか?会場は女性が多いのでやはり器量、頭、品のよさを兼ねているのは自分しかない。(爆笑)

笑点は43年目に入り、バラエティ番組では最長寿である。初代からの円楽、こん平、歌丸が生きている。私は27歳で笑点のレギュラーになった。S25年2月8日生まれ、誕生日が来て59歳になるが上が長生きするから若手と言われる。

最近は、変な時代になった。以前は地域や町内は共同体で「傘かしげ」という言葉があった。雨の日に往来で傘がぶつからないよう譲り合うのであるが、渋谷のスクランブル交差点などでは、傘がぶつかっても勝つか負けるかの世界だ。

食べ物の安全について
始まりは不二家だったが、もう営業を再開している。だが反省していない。だって、ペコちゃんがべろを出している。(爆笑)

私は酒好きだが甘いものも欲しい。名古屋に行けば赤福を買っていたが、あんの賞味期限切れで問題になった。そこで「御福」が売り上げを伸ばした。しかし、「御福」も。不適正表示で同じように問題となった。で、同じような菓子なので両社が合併しようとしたところ、”あまり良い案(餡)じゃない(爆笑)と。

次は秋田の比内地鶏。廃鶏を使用したのが問題になったが拝啓(廃鶏)は手紙の冒頭に使うもの。材料の配分の多い順で表示をするが「鶏肉、地鶏、鴨(かも)」となる。(爆笑)

社会保険庁の年金問題、5000万件の名寄せを来年3月までにやるといったが安倍さんも福田さんもだめ、麻生さんは口をまげてやっている。国民の生命や財産である年金があんなことになるなら、外国だったら革命が起きている。
柳沢前厚労相が、”女は子どもを産む機械発言”をしたが、私は男として腹が立った。男は材料ということで、資源は枯渇する。つまり女は工場で男は工員。だから頼まれると他へ手伝いに行く。出稼ぎ、臨時、パートでも(爆笑)

老後の設計をどうするか?日本人の平均寿命は今や男女とも世界一(男78.32才、女85.23才)でいつの時代も女性が長生きだ。妻が先に死ぬと夫は3〜5年しか生きれないが、夫が先に死ぬと妻はとめどなく生きる。(爆笑)
うちの母も同様で30年前に父が死んだ。先日、母が私の家に寄った。聞くと台湾へ旅行に行くらしい。あれこれ気をつけるように言った後、母が「何か忘れ物はないか?」と言う。つまり餞別を出せというので3万円渡した。母は「これだけでは皆にご馳走できない。私は、米子さんではなく、楽太郎のお母さんとしか呼ばれない。飲み物もご馳走すれば、私の鼻は高くなりあんたは株が上がる。」で、5万円出した。「あんたもTVに出ている割には苦しいんだな。」(爆笑)

何故女は長生きか?鴨撃ちが言うには「メスを先に撃つとオスが逃げるが、1時間もすれば必ずメスの安否確認に戻る。で、オスも仕留めることができるが、オスを先に撃つとメスは、私は自由よ〜と帰らない。」(爆笑)

この世には男と女しかいない。”木曽殿と背中合わせの寒さかな”という古川柳があるが、記念日を男は忘れる。すると妻は「あなたは冷たい、40年も一緒にいながら・・・」と攻める。ここで夫は次のセリフを言おう。「ばかだな。おまえ、ちっとも年をとらないじゃないか。」と。(爆笑)

この会場にも女性が多いが、女性は感受性が強いので反応が良くて助かる。私にとってはお花畑にいるようだ。パンジー、フリージア、ユリ、ボケの花(爆笑)その間にぺんぺん草もある。ところが男性はほとんど笑わない。中には、奥歯をかみしめているおじさんもいる。「こんな話を聞くためにきているのではない。」(爆笑)

私は一時落語って何だろうと考えたことがある。バックボーンは、やはり笑いであると思った。暴れん坊将軍に出演した頃、この英語バージョンを聞いたが何かおかしい。やはりその国の文化はその国の言葉でないといけない。
日本人のイメージ調査では、勤勉、実直は一番に上がるがユーモリストはない。これは長い間の男社会の影響で「男は歯をみせんじゃねぇ!男なら泣くな!」という教えがあったからだ。では何時から男社会になったのか?神話の世界では天照大神、卑弥呼、紫式部、清少納言までが女性の世界で、鎌倉時代から武家社会になり、男の時代になった。徳川家康がすごかったのは、一番に大奥を作り、御三家を作った。これは源氏が途絶えたのを手本に跡継ぎを絶やさないためであった。そして鎖国をし、外国から情報が入らないようにした。武家社会では「民、百姓たるものは勤勉実直にお上のために働け」であった。このお上が明治になるとお国のためにと変わった。

笑いは人間だけが持っている高度の感情である。魚脳から爬虫類脳、哺乳類脳と進化してきたが、笑わせるのは人間の脳だけである。赤ちゃんが初めて笑うのは母親を認知した時である。最近の母親は乳首が大きくなる、黒ずむといい母乳をやらないそうだ。おんぶもだめでベビーサークルに入れる。だから大きくなって檻でも平気になるのだ。(爆笑)
目の中に母親が入ってくる安心の笑顔は無防備の証明である。ところが日本はあいまいな文化で笑いながらあやまる行為を混ぜてしまった。

笑いは体に良いが
精神免疫学にも良い。九州大学の中川俊二先生はほがらかで、楽天的、プラス思考、病気と闘う気持ちの人はリハビリでも順調に行くなどいろんな角度から分析されている。倉敷の柴田病院では、末期がん患者にモンブラン登頂や吉本喜劇に行ったり、ユーモアスピーチの会など行なっている。
脳内革命の著者である春山茂雄は、
プラス思考だと脳内モルヒネ、特にβーエンドルフィンが生まれ心の重さ、病気のつらさを和らげる。一方、嫌だなと思うと免疫力が落ちてくると言っている。だからこの脳内モルヒネのスイッチを自分で持ちプラス思考にする。
皆さんには手遅れかも知れないが、更年期障害も遅らせ、老いも遅らせる。

不老長寿の
”長寿”とは、いくつになっても自分の居場所があり、社会と接点を持ち、やることがある人のことであり、”長命”は、スパゲティシンドローム(体中チューブでつながれている人)である。
金さん銀さんが百歳、百歳とTV出演して元気だった頃、東海ラジオが「ギャラをどうするのですか?」と聞いたら「老後のため貯金している。」と答えた。これはユーモアである。徳之島の最高齢泉重千代さんに「どういう女性が好き?」と聞いたら「私しゃ甘えん坊じゃから年上が好きじゃ。」と答えた。泉さん以上の年上はいないのに、これもうまい答えだ。

ボケには3つある。
まずア
ルツハイマーの兆候、これはあきらめてください。早目に遺言状を書いておくこと。自分が誰か分からなくなる。人間と動物の違いは笑うことと自我のあること。”吾考える。故に吾有り”で老後の計画を考えることができるのは人間のみで犬にはできない。自我の喪失については、こう言われいる。「ボケは神の恵みである。即ち死の恐怖から逃れられる。」と。

次に
脳血管性によるもの。これは循環器に関わるが、私は45歳から5年おきに脳ドックをやっており、年齢的に脳に縮みはあるが、あと40年は持つと言われた。笑点の木久扇も見てもらったが新品同様だったとか。つまりほとんど使っていないということ。(爆笑) 健康は自分で対応すること。

最後に
廃用性痴呆。これは脳を使わないからだめになる。今日の私の話を聞いて一回も笑っていない人はこの予備軍である(爆笑)。笑いは高度の感情があるから出る。ゆるみは早くぼけるので刺激を与えることが大事である。

浜松医大の金子医師は趣味別データーを出した。碁、将棋、麻雀は作戦があってよいが体を動かさない。ゲートボールは作戦もあり体も使う。グランドゴルフは何打でホールに入れるかだけである。ところがゲートボールは人口減となっている。あのじじぃ、あのばばぁがいる限りやらない。という人がいるから。また言葉の趣味も良い。本を読む(行間まで意味を考えて読む)、政治家、落語家も良いそうだ。

時々、我々は言葉を忘れる。「え〜と、あそこのほれ、それ・・・」と言うが多少の物忘れは良い。私も冷蔵庫の戸を開けて何を取り出すのか忘れた。「何をしてるの?」と聞かれたら「涼んでいる」と答える。(爆笑)このくらいの返事ができれば良いのだ。

人間と動物との違いは言葉を持っていること。”はじめに言葉ありき”と言うが、老健で「ハトポッポ♪とか連れて逃げてよ〜♪」を歌わせるのはだめ。せめて替え歌を作るくらいでないといけない。
さて、ここで一番ぼけになりやすい職業を言おう。それは公務員である。”痴呆(地方)公務員というから(爆笑)。
いや、国家公務員も警察官も教員も含めて、公務員には無事に安全にというタイプがあり、真面目に働き、責任を取らないよう自分のことだけ考え、定年を迎え年金をもらって2〜3年ぼぉ〜とする。これが良くないのだ。ところが何か趣味があると違う。

そのためには次の3つが大事である。
@
「気」・・根気、やる気などいろいろある。サイダーも気が抜けたらだめ。(爆笑)日常生活で忘れていることに、”朝起きたら生きている、今日一日もうかった。”と思うこと。必ず目の覚めない朝が来るのだから、忘れないようにしよう。「気」は入れたり抜いたりすると気持ちが良い。(爆笑)今、笑った人は良くお解りのようで・・。

A
「力」・・気力、体力、忍耐力、財力、家庭力等考えればいくらでもあり、自分にどんな力が足りないか考える。

B
「欲(良く)」・・・欲にもいろいろある。例えば食欲がなくなった。と言うがこれは言い方が良くない。好みが変わったという言い方をしよう。円生師匠は「いい女を見たら自分の女と思え。たまたまこいつに預けている。」というふうに。(爆笑)
広島の人間フォーラムの後に落語を頼まれて飛行機で行ったら早く着いた。で、フォーラムにも出てくださいと言われるので、「欲」を持とうということを喋った。すると終了後、坊さんが来て、「仏教では、悟りを開くのに欲は邪魔になるので言うな。」と。私はこう返事した。「浮世を離れた坊主でさえも木魚の割れ目で思い出す。」(爆笑)

最後になるが、笑顔で声を出し、”おはよう”と言い合っているうちは大丈夫。父にも”お疲れ様、ありがとう”と言おう。
とにかく、
楽しく笑顔で一日、一日を過ごすようにしてください。



2008.10.12(日) 
H20親と子のふれあいフェスティバル in 瀬戸町総合運動公園体育館
瀬戸町合併特例区主催の親と子のふれあいフェスタが開催されました。
今年は「家族」
がテーマ。
舞台では、ダブルダッチショー、保育園児による発表、スポクラパフォーマンス、IPUによるダンス等繰り広げられ、
また、各ブースでは、昔遊び体験、縄跳びチャレンジ、バッテリーカー、ペットボトルボーリングなど様々なアトラクションがありました。
スペシャルゲストは、歌手の”まちだこうぞう”さん、特別企画は”エガクンジャー”による生壁画、そして自然観察会も企画され、
晴天の秋の一日を存分に楽しませてくれました。
風は、ITクラブのデジカメプリントサービスとクラフト作りのお手伝いをし、自然観察会にも報道班で参加しました。
以下、イベントの中のごく一部の写真ですがご覧ください。

ITクラブの
クラフトコーナー
飛行機を熱心に作成中
舞台のダンスに
見とれる観客

会場でも踊る♪
特別企画「生壁画家」
エガクンジャーの3名

そして約3時間後・・・
高さ1.8m幅10mの
キャンパスに動物の
親子が描かれた。
自然観察会
双眼鏡でカラスの
巣を観察中
まちだこうぞうさん
RSKラジオ
「救え戦場の子どもたち」
のテーマソングを歌う。


2008.10.9(木)
 「転ばぬ先の杖」教室No5 in 江尻親和CH
10月26日投開票の岡山県知事選挙が本日告示。石井正弘氏と住宅正人氏のポスターが貼られた江尻親和CHで、標題の健康教室が開催されました。
今日のテーマは「交通安全について」。
赤磐警察署から委託された入江氏を講師に迎え、6月1日より施行された道路交通法の改正点についてご指導いただきました。
命を守るためのお話ですから、参加者は真剣に聞いていましたが、最後に交通安全グッズをいただき大満足?
その後、ストレッチ体操をして無事に終了しました。お世話になった関係各位に心より御礼申します。

そういえば、冒頭の選挙の投票所入場券は、瀬戸地域のみ投票時間にミスがあったそうで、NHKニュースで取り上げていました。
PCのプログラムミスだそうですが、発送した全戸にお詫びと正しい時間が記載されるとか・・・
記念にとっておくわけにもいかないわな〜。

ミニチュア標識で
分かりやすく説明
黒板にも書いて・・
熱心に聞いています。
ストレッチ体操は
ボラさんがお手本です。
ロビーでお茶の接待
ナンプレの欲しい人?
ブレイク
Sさんに素敵なバッグを
いただきました。


2008.10.4(土) 平沼赳夫氏講演会 in 津山
解散・総選挙が近いと言われつつ、各メディアの予測もはずれているこの頃ですが、
無所属の衆議院議員である平沼赳夫氏が津山で講演するので参加して欲しいと依頼があり行ってきました。
風は同後援会のメンバーでもなく、支持政党もありませんが、
病を克服し「信念をまげない、ぶれない政治家」としての平沼氏がどのようなお話をされるのか興味があったので友人と参加した次第です。

結論として、新党は作らず、「保守系無所属平沼グループ」で13名の同志と共に立候補する、選挙になれば自民・民主とも過半数の獲得は難しい。
そこで、保守系が重要な鍵を握ることになるとの見解を講演後の質疑応答で述べられました。
以下、必死でメモった講演内容を書きましたが、聞き違い等多々あると思います。ご興味のある方はご覧くださいませ。

会場のひとこま 平沼赳夫氏講演要旨

後援会長伊原木氏
ご挨拶


平沼氏のお話

握手をして終了
 皆さん、土曜日のお忙しい中、お集まりいただき感謝する。岡山空港に降りて、和気の事務所に寄った。もう選挙が始まったかと思うほど、200人越える人が集まってくださり街頭演説をした。ありがたいとつくづく思った。
マスコミの報道では、昨日(10/3)解散で、11/2投票の予定だったが延びてきた。その理由として、麻生総理になり、自民党独自の世論調査をやったら惨憺たる結果だった。自民党は、マスコミより3〜5%数字を良して発表する。全国に300の小選挙区があるが、153区で自民党候補者が惨敗するという結果で、解散できなくなったのだ。
麻生総理は、不景気対策、2次補正予算、インド洋での給油継続、福田前総理の消費者庁の継続を訴えた。マスコミは、若い代議士が総選挙のため事務所開きしているが、経費がいるので早くやって欲しいと書いている。公明党のこともあるので、11月後半から12月にかけての解散・総選挙が高くなったと思う。

 さて、私が新党を作るのではないかと期待を持つ人もいると思う。選挙制度は、政党有利で、例えばTVで政見放送ができたり、政党のポスターも貼れる。ところが無所属ではそれができない。ビラの枚数も政党が有利である。
新党を結成する要件は、現職国会議員5名以上で届けること、直近の選挙で全体の投票数の3%を取った人である。
私のところに平沼と政党を作りたいと8名の国会議員が来た。名前は使ってくれ、代表は平沼にと。私は深く考えた。後援会幹部や東京のブレインに相談し私が応援している13名の同志にも意見を聞いた。ここにマスコミがいるので言いにくいが、姫井氏が離脱して新党結成ができなかった改革クラブ・大阪の無所属新人西村眞悟が私に身柄を預けるといってきた。
首相指名選挙で平沼の名があり、私の隣の議席の亀井静香が「自分で書いたんだろう?」と言った。私は「麻生」と書いたが、西村眞悟が「平沼」と書いたそうだ。また、名誉にかかかわるので名前は言わないが、小泉チルドレンが3名来た。私は郵政民営化に反対し、チルドレンはもろ手を挙げて賛成したのに、「内心では民営化に反対でした。」と。賛成して議員になっているのにおかしいことだ。
後援会幹部、ブレイン、13名の同志達は「あなたは筋を通して新党を作らず保守系無所属でやってくれ。」と言った。では、解散したらどうやって闘うか?解散直後に詳細は記者発表するが、政界刷新のため「
保守系無所属平沼グループ」として立候補することにした。
同志13名のうち、5名は郵政民営化に反対して落選した議員で静岡の木内、埼玉の小泉、京都の田中などがいる。残り8名は県議・市議・代議士秘書である。
私を2世議員との批判があるが、私は変則2世である。平沼騏一郎はひいじいさんで当時、選挙は一度もやっていない。私は2回落選し3回目で当選した。後援会つくりにも苦労した。小泉は、郵政民営化を進める時、郵便局の批判をした。郵便局長の世襲制はいけない。だのに自分の子供を選挙に出す。息子が当選すれば4代続くことになりおかしい。

小泉時代、日本のGDPは580兆円でアメリカに続き、2位だった。人口割で言えば世界1位である。ところが、小泉は5年5ヶ月”爪に火をともす”緊縮財政改革をやり、72兆円減らして508兆円になり18位に転落した。地方との格差は目を覆うものがある。津山の商店街を見れば土曜日にも関わらずシャッターが降りている。かつて三位一体の改革で地方に財源を渡すという話に全国の首長が飛びついたが、実際のところ、財源委譲はスズメの涙ほどで交付金カットはめいっぱいやった。地方は予算も組めず、(津山のような)シャッター通りができた。これが人気を失った原因である。

では、地方の郵便局はどうなったか?田舎では、郵便局員を「ゆうびんさん」と呼んでいて、その人が転勤すると住民は涙を流していた。年金暮らしの人が、家の前に赤い布を垂らすとゆうびんさんが寄ってくれ、お金をおろしてきてくれた。民営化になり、11人いた局員が2人になり、本体業務は隣町へ移った。赤い布を垂らすとバイクで寄ってはくれるが、民営化で係りが別になり通帳を預かってくれない。窓口にあった農協もなくなってきた。

今、リーマンブラザースショックが起こっているが、アメリカは、郵政民営化に関して郵便局の資金・簡易保険の340兆円に目をつけた。政府間協議を12回やった。当時の大臣室に米文書がきておそるべきことが書いてあった。政府間交渉にアメリカの保険会社社長が入り、ああしろ、こうしろと言っているのだ。私の頭を去来したのは、アップルウッド社が買った新生銀行のことである。不良債権が増え、にっちもさっちもいかなくなった長銀に日本は8兆円つぎ込み、経営者を募集した。アップルウッド社は、8兆円の銀行を10億円で買い、株を公募、2200億円もうけたのだ。まさに濡れ手に泡だった。小泉・竹中ラインの時である。

ガソリンの高騰については、1兆円当てれば国民は助かる。私に妙案がある。価格が120円を越えたらレシートを出せば国が責任をもって支払うようにすると1兆円もかからない。

後期高齢者医療については、老人の医療費が一番高くかかるので負担してもらうという趣旨だが、75歳以上の方は、戦後の復興から汗みどろで働いてくれた。いかに医療費がかかるからといっても1割負担や年金からの天引きはだめである。汗みどろで働いてくれた老人を連帯で面倒見るのは日本人としての価値観である。麻生総理は一年かけて見直しをすると言った。

また、国が持っている資産をいわないが、日本には資産がある。米国の国債が30%(90兆円)、郵便貯金・簡易保険340兆円、個人資産1500兆円。振り込め詐欺が通用するのは日本のみで、こんなにあるから詐欺に1000〜2000万円平気で送るようなことができる。金は天下の回り物で生かすことが大事である。

皆さんには保守政治に良い流れをつけて欲しい。私は解散直後に記者発表をする。政治は大胆でなければいけないが保守政治を守る。日本の伝統文化を大切にしよう。

私は拉致議連の会長をやっているが嫌になる。我が日本は足元を見られている。この国の平和・安全は我々の責任で担保する基本姿勢がないからなめられる。二度と戦争をしない努力をしっかりしないといけない。米CIAアジア担当局長と1時間ディスカッションした時私は尋ねた。「CIAは世界一の予算と諜報部員をもっているのに何故北朝鮮のことが分からないのか。」と。するとCIAは「北朝鮮は、スイスのチーズのような国」と答えた。スイスのチーズは穴ぼこが多くあいている。即ち北朝鮮は洞窟が多く探索ができない。老朽化して核と関係ない施設をアメリカの費用で爆発したが、核や原発を持っていても地下の洞窟だから分からないそうだ。

私は自国で安全・平和を守れる体制を作りたい。私は全選挙区のうち54箇所で国会報告会をした。美甘村では100人以上集まった。東京なら100万人だと思った。こうして各地の皆様に力をいただいた。一昨年、脳梗塞をし2ヵ月半入院、3月に復帰した。5分しか演説できなかったが、現在は一日4回、1時間ずつ演説できるようになった。そして全国に同志もいるので応援に飛び回っている。今後ともご支援いただけるよう衷心よりお願い申し上げる。


2008.10.3(金) 京の押し絵作り in 瀬戸公民館
岡山市消費生活研究協議会瀬戸班主催による押し絵作りが開催されました。
参加者は8名。来年の干支である丑(うし)の短冊にチャレンジします!
昨年は、今年の干支である子(ねずみ)を作り大好評だったので、今年で2回目となります。
先生が、各パーツを用意してくださり、いよいよスタート♪
”ここはどうするの?”’パーツがなくなった!”など、わいわい言いながら約2時間半かけてやっと完成。
同じパーツなのに、完成品はそれぞれの個性が出てくるのが不思議なところ?
講師の平尾先生には、懇切丁寧に教えていただき心より感謝いたします。

それにしても・・・今年も残りわずかとなりましたね。

これが押し絵のセット
さてどうなる?
みな熱心に
作っていますねぇ
やった〜。
完成したよ。
こちらも完成♪
やれやれ〜。
風の作品。
2個も作りました。


9月 草の花ひたすら咲いてみせにけり(久保田 万太郎)
「草の花」とは、名のある花も名もない野草の花もこめていう総じて可憐であり、淋しい花が多く、古くから千種の花と言われるほどその種類が多い。
よほどの専門家でない限り誰も知らない雑草、それがまた雑草の趣である。
この句は、草の花に対する先入観や常識的見方を・・良く言えば国民的遺産となった言語感覚を・・踏まえて、その「ひたすら咲いてみせ」る努力に、何か哀れさを感じさせる。
歴史に名をとどめず、人にも知れず、青人草(一般庶民)のように無数の小さいものにも、それなりの生と美を持つことを深く悟らせる。


2008.9.28(日) 第3回瀬戸の参楽茶会 in 瀬戸公民館
”見て楽しむ、聞いて楽しむ、味わって楽しむ”という3つの楽しみが満載のお茶会が
瀬戸町文化協会&瀬戸町茶道の会主催で開催されました。
見るは、岡山県立瀬戸南高校「郷土芸能部」による勇壮な備前陣太鼓。
聞くは、林原美術館長・熊倉功夫先生による「「茶の湯と日本文化」というご講演。
味わうは、お抹茶かお煎茶(安部流)の好きな方をいただくというものです。

講師の熊倉先生は、茶道史を中心に寛永文化のほかに日本の料理文化史、民族運動など幅広く日本文化を研究されています。
”お茶は日本の伝統として大変意味があり、価値あるもので、心の交わり、間の感覚、言葉遣いなど、現在の日本に失われている大事なものが含まれている。”
ということを身近な例をあげながら、平易な言葉でお話くださいました。
会場は波を打ったような静けさ、そして、講演終了後は深い感動に包まれていました。
それにしても熊倉先生のご造詣の深さ、その品格などなどなど、世の中にはなんと素晴らしい方がおられるものと感銘するばかり。

多くの参加者の皆様には、心ゆくまで文化の秋を堪能していただいたのではないかと思いました。
文化協会&茶道の会&公民館職員の皆さん、ご苦労さまのありがとうございました。
なお、この模様は、後日oniビジョンでお楽しみいただけます。

瀬戸町文化協会会長
福本氏の開会ご挨拶
瀬戸南高校による
見事な備前陣太鼓
熊倉功夫先生
興味深いお話ばかり。
こちらは、お抹茶席
熊倉先生がお正客
安部流煎茶席にも
熊倉先生がお越し。
熊倉先生とスタッフの
記念撮影で〜す


2008.9.26(金) 講演と民謡のつどい in 西大寺ふれあいセンター
西大寺・上南・上道・旭東・山南・瀬戸・万富公民館主催による標題のつどいが開催されました。
まず、最初はNPO法人総合ケアシーザル理事長の宮原伸二先生の「老い方上手」という講演から。
宮原先生は、24年間、農村地域において保健から福祉までの総合医療に取り組み、その間、本人・家族の希望を大切にして約300人を在宅で看取られたとか。
そして、50歳で安定的した職を捨て、自分らしく生きたい、これぞ在宅療養だというものを作りたいという思いから
NPO法人総合ケアシーザルを設立されたそうです。
老いに伴う体や心の変化、また免疫力、認知症について、更に家族や地域のあり方など実に分かりやすくご教示くださいました。

アトラクションの後には、今秋の県知事選に出馬表明をされ、桃太郎のからくり博物館館長、ちくわ笛輪奏者として有名な
住宅正人先生が「岡山のおもしろ音楽」という題でご登壇。
物価高による竹輪の高騰の話を皮切りに、江戸時代から岡山に存在した2,000もの民謡の中から、いくつか抜粋され
そのいわれと民謡を実際に歌ってくださいました。いやはや、その話術とのどの素晴らしさにただただうっとり。

選挙準備があるにも関わらず、岡山の文化発展のため、東奔西走されているご様子。
選挙の話は、一切出ませんでしたが、結果はどうあれ、立候補された以上、頑張って欲しいものです。

宮原伸二先生の
「老い方上手」講演
上道公民館
コーラスの皆さん
上南公民館
大正琴の皆さん
住宅正人先生
ちくわ笛演奏中で〜す。
最後は下津井節
お見事でした♪


2008.9.20(土) 岡山市民文化大学9月講座 「私の取材ノート」〜「その時歴史が動いた」の現場から〜 in 岡山シンフォニーホール
初秋というより、真夏が戻ってきたような本日、標題の講演会に参加しました。
講師は、”NHKの顔”ともいうべき松平定知氏。昨年NHKを退社されたそうですが、引き続きNHK番組でご活躍中です。

1時間半の講演で、「藤沢周平」のこと、「その時歴史は動いた」を中心に、”歴史”のとらえ方を実に興味深く、楽しくお話くださいました。
教育現場でもこのようなとらえ方を教えれば、歴史が好きになる人が増えるのに・・とつくづく思った次第です。
以下、要旨を載せていますが、聞き違い、勘違い、省略等多々あると思います。
ひろ〜い心でご容赦いただき、ご興味のありますお方は、ご覧くださいまし。

講  師 私の取材ノート〜「その時歴史が動いた」〜の現場から 講演要旨
松平 定知氏
プロフィール


1944年生まれ
69年、早大卒業後
NHK入社。
連想ゲーム、
日本語再発見、
19時ニュース、
モーニングワイド
ニュース11時等
ニュース番組を
12年間担当。
また、紅白歌合戦、
各種選挙開票速報の
総合司会等
NHKの顔として
お馴染み。

2007年NHK退社後、
フリーアナウンサー。
その時歴史が動いた、
藤沢周平を読むなど
で活躍中


皆さん、こんにちは。私は昨年11月でNHKを円満退社した。しかし、仕事は同じペースで、月曜日のラジオ深夜便の0:25から0:40まで「藤沢周平を読む」の朗読をしている。およそ、民放は、”何とか聞いて欲しい”を一番に番組を作るが、NHKは、何とか聞いている皆さんを眠りに誘い寝て欲しい、ベテランアナでゆっくりしっとりお届けしたいと思っている。
今やっている藤沢周平”用心棒日月抄”は、来年4月か5月ごろまで続き、”橋物語”も収録中である。

 なぜ藤沢周平なのか?1898年NHKモーニングワイドに出演していた頃だが、7時から始まる番組に出演するには、3:30起床、4:00に自宅を出て、5:00に到着しないといけない。そして番組は、8:13に終わるが、その後、反省会、打ち合わせ会、政治のレクチャー等あり、帰宅は19:00頃になる。この頃の私の睡眠時間は3時間だった。眠くなると仮眠室に藤沢周平の本を持って行き、読むのが一番の楽しみだった。偉大な人が主役ではなく、庶民の目線で考えモチーフとなる藤沢の作品は温かく癒され、良い気分になる。至上の幸せであり、疲れが取れた。

1889年から1891年は、世界が音を立てて動いた時代である。特に東ヨーロッパでは日替わり定食といわれるくらい動いた。東西ドイツの統一、ソビエトがロシアに変わるなど。そんなニュースを朝一番に報道した。これはジャーナリスト冥利だったが、精神的にも高揚した。藤沢作品は、その高揚して疲れた精神を見事に癒してくれた。私は藤沢作品を日本中に紹介したいと思った。それも何の効果音、擬音など入れず自分の声だけで・・・早速計画立案書を書き、提出し続けたが14〜15年間、没にされた。しかし、この間、藤沢ブームがじわじわ湧いており、やりましょうということになった。

”その時歴史が動いた”は、東京で作るのではなく、大阪のNHKで作成している。一局集中を避けるため、例えば、韓国番組などは福岡、農業問題は仙台で作成する。また、”その時歴史が動いた”は、ベテランディレクターでなく、若い人が一所懸命作っている。彼らは必ず現場に行き、調べる。出来は荒削りで、うまくは無いが彼らの熱意、根性が入っている。98%は彼らのおかげ、僕は2%ほどの力である。火〜木曜日は大阪へ、金は世界遺産シリーズ作成、とNHKをやめてもNHKの仕事で食っていく、これが円満退社の所以である。(笑)

この番組は9年目で、見ていただいた皆さんにお礼を申し上げる。NHK”のど自慢”や”今日の料理”などは、長寿番組である。まして、一人のキャスターが、長期間同じ番組を担当するのは少ない。が、国谷裕子は”クローズアップ現代”を13〜14年やっている。彼女の能力・性格は素晴らしい。
また、”ためしてガッテン”の立川志の輔はピラミッドの頂点になるのではないかというくらい長くやっている。これは物理的に長いというだけでなく、数字(視聴率)もそこそこいただいている。番組は、一人でも多くの人に見て欲しいから視聴率が大事で、そのため日夜研鑽しており、番組への関心度を認識できる。

だが、そうは言っても
一番大事なのは、視聴者の信頼・信用である
9月17日(水)、”その時歴史が動いた”で、尾張藩主徳川宗春を取り上げた。当時、徳川幕府の将軍は享保の改革で名君といわれた徳川吉宗で、質素倹約を旨とした政策だったが、宗春はまっこうから反対、派手好きであった。番組視聴率9.3%だった。10%まで0.7%足りなかった。しかし、この時間帯の裏番組(NHKから見れば)”SASUKE2008秋”など各局で特番を組んでいる中、よく分からないような人(宗春)を主人公にして、一人も有名な役者もいないのに、この視聴率は、9時台の12〜13%、8時台の16〜17%に相当するのではないか。また、この番組9.3%視聴率は日本の人口で930万人、こんな多くの人が見てくださった。心から感謝しており、改めて皆さんの信用・信頼・ご期待をそぐわないよう、愚直に番組作りをすることをお誓いする。

さて、番組つくりの大事なことは、
@決してうそをつかないこと。
視聴率は大事だが、目先のうけを狙い、自分で話を作らない、想像で作らない。論拠、証拠があって作る、愚直な努力があって信用がある。面白くなければそれはそれで真実を伝え、感動を強制する番組を作らないこと。

A歴史=古くさいと思う人も多いが、古いものを扱うが、古くさくはない。
新しい資料が発見されたり、今までの資料の切り口を変えれば新しい歴史の顔が見えてくる。
1575年5月21日、織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼軍の”長篠の戦い”は、織田軍鉄砲隊の三段撃ちで勝利とされたが、どうも違うらしい。5/21は旧暦で、今の6月中旬、梅雨の季節である。そういう時に果たして織田信長が鉄砲を使用しただろうか。
例えば、関が原の戦い、壇の浦の戦いなど結果は知っているが、本当のところは誰も知らない。その穴を埋めるのは、資料だが、これも正しいかといえば
”歴史は勝者の資料である”長篠の戦いの当日は晴れていたが、前日は大雨だったという記録があり、戦場も水田地帯であったろうし、どろどろの田んぼで、果たして鉄砲の三段撃ちができたのだろうか?
このことは、信長記という一級資料にも書かれていない。勝者の歴史の標榜をうのみにしては、大いなる誤りを生じる。
中京大学スポーツ学部の学生をバイトにやとい、5kgの火縄銃を持ち、20kgの鎧武具を想定し、どろんこの中で行ったりきたりさせたが30分持たなかった。
試験問題に「日本で初めて鉄砲を使用したのは?」がある。”長篠の戦い”というのが正解だが、以上のことからこの問題は成立しない。

B歴史は人間のドラマである。
歴史は無理やり暗記させられたという人が多い。鳴くよウグイス平安京(794年)、いい国作ろう鎌倉幕府(1192年)、白紙に戻った遣唐使(894年)など脈絡なしに暗記するものだった。
しかし、歴史は、切れば血の出る人間の織りなすドラマである。今、視聴率が26〜27%の”篤姫”も人間のドラマとして捉えると歴史の興味が違う。篤姫の鬼のような姑のイメージが変わってくる。
篤姫は、1835年生まれで坂本竜馬、土方歳三と同い年。1850年15歳の時、将軍家定(バカ殿、統治能力・生殖能力無し)の嫁にどうかと話が持ち上がった。余算だが、同年、破綻した米リーマン社が創業している。
開国派は、14代将軍に家茂を、攘夷派は、慶喜を押し、篤姫は”次の代のトップを別の人(慶喜)に画策して来い”という命令で結婚させられた。婚礼のお支度係りが西郷隆盛だったが、篤姫へのスパイであった。家定の死後、家茂が将軍になり、公武合体論から孝明天皇の異母妹である和宮が嫁になったが、中仙道を50kmかけての嫁入り行列だったという。

和宮にしてみれば篤姫は姑だが、自分より位の低い天璋院院(篤姫)が上座に座って、座布団もなかったのは屈辱だったろう。こうして鬼姑として世間に喧伝されたが、2人とも賢明な女性なので徳川幕府のため協力した。やがて、徳川を実家(島津)がつぶしに来る。勝海舟は、天樟院に「実家に戻りなさい」と言ったが「私の死体を持っていけ」と断った。
1867年10月14日、15代将軍徳川慶喜は、政権を丸投げ(大政奉還)した。江戸城は、勝・西郷会談により無血開城したが、天璋院は大奥の奥女中達の今後の身の振り方を処置して最後に江戸城を出た。そして千駄ヶ谷の徳川邸で明治16年まで生きたが島津の援助は断った。最後の所持金は1円(今の5万円)だったという。実家に頼らず女の意地を貫いた。

最後に繰り返すが、歴史はうそをつかない。学校、先生が教えなかった新しい歴史が見えてくる。そして、歴史は、数字(年号)と歴史事項の無機的な、暗記の集積ではなく、切れば血が出る人間が織りなす“人間ドラマ”なのである。

毎週水曜日、午後10時から
”その時歴史は動いた”を引き続きどうぞよろしく!
ブレイク
2008.7.5開催の市民文化大学での金美齢氏講演の感想文を投稿したところ、左の色紙をいただきました。
 しくを重ねる”と直筆&達筆で書かれており、文章内容と共にとても感激しました。
2008.9.20(土)18:00より、 ITクラブ交流会がお好み焼き武蔵で開催されました!
10月の親子フェスタについて等、話し合いの後、飲み物、食べ物、おしゃべりで超満足♪
大変お世話になりました。


2008.9.19(金) 瀬戸地域秋の交通安全市民運動出発式 in 江尻レストパーク町民プラザ

”守ろうやあ あなたもわたしも 交通ルール”

平成20年9月21日(日)から9月30日(火)間での10日間、全国一斉秋の交通安全運動が実施されますが、
本日は、瀬戸千草学区&江西学区安心・安全まちづくり協議会主催による標題の出発式が、午後3時より開催されました。
台風13号の影響で、開催が心配されましたが、その台風は県内からは遠ざかり、頃合の曇天となりました。
会場には、約500名(新聞報道)の住民が参加。
オープニングセレモニー、主催者挨拶、感謝状贈呈、活動説明、出発宣言等の後、無事故を誓い合って散会しました。
なお、写真にも載せていますが、瀬戸桜保育園児による鼓笛隊演奏、歌など本当に見事で可愛く、この出発式を盛り上げてくれました。

開会前の看板です。 協議会会長の
力強いご挨拶
瀬戸桜保育園に
感謝状の贈呈
園児らによる交通安全の歌
バックは、各地区住民
来賓祝辞
岡山市副市長様
参加グッズ
こんなにたくさん・・♪


2008.9.17(水) 自民党総裁選街頭演説会 in 岡山駅前
9月22日投開票の自民党総裁選2008に伴う街頭演説会が、岡山駅前(高島屋前)で開催されるというので見学(?)に行ってきました。
午前は、島根県のJR出雲市駅北口広場で街頭演説が開催され、その足で岡山駅前に来られ、開催は16時から。
総裁選候補者は、5名(石原伸晃、小池百合子、麻生太郎、石破茂、与謝野馨氏)ですが、
本日は、米リーマン・ブラザーズの財政破綻に伴う会議のため、与謝野馨氏はご欠席でした。
地元衆議院議員のご挨拶の後、4人の候補者がそれぞれの政策を主張され、物々しい警戒体制の中、街頭演説は無事に終了。。。

現在、国内では、汚染米流通の拡大、経済不安、社会保障制度の不備等々問題が山積している中、”総裁選ごっこ”と揶揄されながらも
各候補者は、総裁選、あるいはその先の総選挙に向け、熱弁をふるわれていました。
さて、このイベントが自民党にとって吉と出るのか凶と出るのか?

なお、風は15時半頃到着しましたが、ものすごい人、人、人。
もはや、まともに写真を撮れる場所もなく、かなり離れた位置から撮影のため、ボケボケばかりですが雰囲気だけでもどうぞ・・・。

地元選出衆議院議員
逢沢 一郎氏
トップバッターは
石原 伸晃氏
女性初候補者の
小池 百合子氏
総裁確実と言われる
麻生 太郎氏
地方からの候補者
石破 茂
これが投票用紙で〜す。
風は自民党員ではありません。


2008.9.11(木)  「転ばぬ先の杖」教室No4 in 江尻親和CH & 楽墨書道作品展 in 瀬戸町図書館
第4回目となる健康教室が開催されました。
本日は、香川管理栄養士さんを講師に「骨」がテーマ。
骨塩量測定、転倒・骨折予防体操を行なった後、”骨にいい生活をコツコツ続けて元気に長生き”という講話をお聞きしました。
また、カルシウムの豊富なデザートを福祉委員の方に作っていただき、参加者は思わぬごちそうに大喜び。

特筆すべきは、瀬戸在住で一人暮らしだったHさんのご遺志で、社会福祉協議会に寄付された基金から
購入したテーブル(12台)、スクリーン、血圧計、体脂肪脂肪家計(後日到着)のご披露がありました。
故人のご遺志とはいえ、なかなかできることではなく、みなさん大変感謝をされていました。
何時までも大事に使用したいものです。

午後からは、楽墨書道作品展を見に行ってきました。
特に源氏物語をテーマにした作品、山頭火集、またその他個性溢れる作品の数々に感動しました。
鑑賞者のためにクイズの応募があったり、先生直筆の書のハガキがいただけるなど、内容はユニークで盛りだ
くさんです。
会期もあとわずか(9/13、16時まで)、是非ご覧くださいませ。

骨塩量測定中です。
機器の名はヴィーナス♪
香川栄養士さんのお話
後ろのスクリーンは基金から
白ゴマのぷるんぷるん
プリンとカリカリ煮干。
基金から購入の
テーブルと血圧計。
楽墨書道作品展の
看板です。
展示の雰囲気だけでも
どうぞ・・・

2008.9.7(日) 吟行会 in 松江フォーゲルパーク花鳥園
鷺照吟詠会主催による旅行で、松江まで行ってきました。
7:30岡山駅西口発で有漢町の石の風車→小泉八雲旧居→松江フォーゲルパーク→お菓子の壽城というコースです。
石の風車は、有漢町の高台に大小数機設置され、風が吹けば回るとのことですが、あいにくの無風状態でびくともしません。
そこで、裏技?日傘でちょっとつつくと・・・回る、回る!なーるほど結構長い時間楽しませてくれました。
フォゲルパークは、花鳥園というだけあり、ベゴニア、フクシアなど見事に咲き誇り、水鳥、フクロウ、タカ、ハヤブサなど多種類の鳥がいます。
また、その鳥たちともじかに触れ合え、貴重な体験ができます。
あまり時間がなかったのが残念でしたが、またゆっくり時間をかけて行ってみたいと思いました。

なお、詳細は隠れ家の方でご覧くださいませ。
有漢町石の風車
一番大きいもの。
フォーゲルパーク
入口からベゴニア街道
とにかくきれい!
すごい!
ペリカン肩乗せ体験
かなり重い。
フクロウの
飛行ショーが始まるよ♪
ハリスホークの
飛行ショーも。


2008.9.6(土) 土曜わくわく手づくり講座No5 in 岡山県立瀬戸南高等学校
当初の予定では9月20日だった「ブドウの収穫と調整」講座が急遽、本日に変更となりました。
何故かと言えば、天候のせいで早くブドウが熟したからとのこと。
この様な現象は稲や野菜、果物も同様だそうで、これも地球温暖化のせいでしょうか?

さて、6月21日に摘果したマスカットは温室で、我々の収穫を待ちかまえていたかのように見事に実っていました。
自分の名札を捜し、大事に摘み取り、続いて桃太郎ブドウの温室へGO!
桃太郎ブドウの説明を受け、2房限定で摘み取り、マスカットと共に包装の仕方を学び箱詰めしました。
糖度の測定もし、安価に購入してルンルンで帰宅しました。
お世話になりました瀬戸南高校の先生、生徒さんに心より御礼申し上げます。

講師と補助の生徒さん
よろしくね♪
マスカットの収穫中
うわぁ〜美味しそう!
桃太郎ブドウの
収穫について
見事な桃太郎ブドウを
ご覧ください。
デジタル糖度計です。
さて、糖度は?
贈答用の
詰め合わせが完成


8月 牛部屋に蚊の声闇(くら)き残暑かな(芭蕉)
芭蕉晩年に近い元禄4年の作。この句の初案は、「牛部屋に蚊の声よはし秋の風」という。
よわしと闇きの差、あるいは秋の風と残暑の違いに、推敲の工夫が瞭かに見える。
よわしでは、単なる説明に終わるが、闇き、となると、牛部屋の印象がより主観的に、かつまた、残暑に照応して感覚は重く沈む。
姿さだかならぬかすかな秋の蚊の声を聞きとめた聴覚を感覚に転じ、残暑の印象を的確にとらえている。
あるいはそこに臭気まで感じ取る人もあっていいだろう。ただし、牛の在不在は作品外のこと。


2008.8.31(日) 新聞講座・デジタル写真塾 in 岡山県自然保護センター
山陽新聞社主催による標題の講座を受講してきました。
参加者は、中高年を中心に25名、講師はフリーカメラマンの蜂谷秀人氏。
会場を見回すと高級そうな一眼レフをご持参の方が多く、いわゆる普通のデジカメ持参者は数えるばかり?
思わず関係者に、私のこんなカメラで大丈夫でしょうか?と聞く有様・・・。

しかし、講師はデジカメ初心者を中心にとても分かりやすくポイントを教えてくださいました。まず、手ブレをしないこと。
曇りまでは手ブレせずに写真は撮れるが、曇りより暗い状況(夜景、室内、雨など)では手ブレを起こすので注意。
とにかくデジカメにつっぱりを作るとかどこかに固定することが重要で、手ブレを減らすことが、半分以上は上手になる秘訣。
そして、デジカメは何枚でも撮れるので連写をしておく。セルフタイマー(2秒)を使うのも手。
記念写真を撮る時は、必ず1枚はフラッシュをたいておくと手ブレ防止の保険になる。
しかし、フラッシュは、化学調味料の様なもので額に入るような写真にはならない。

更にフォーカスロックが重要だが、とかく日の丸構図が多いのと両脇に不要なものが入るので、余計な空間を入れないようにすること。
即ち写真枚数の半分位は縦に撮ることも必要。

また、カメラは明るいのは苦手で、花・山野草などは晴れた日より薄曇り、日影のものを撮るのが大事。
この他、自分が撮った写真を持参して批評もしていただき、大変充実した時間でした。
なお、園内はサギソウはじめ、各種花々が咲いておりタンチョウも元気に鳴いていました。

講師の蜂谷先生
首が痛くなるくらい
ひもを引っ張り固定する
直射日光時の撮影の仕方
フラッシュのたき方について
花の撮り方
みなカメラを構えて・・・
サギソウで〜す。
今にも飛びそう・・
ナンバンギセル
ススキに寄生し栄養分を
もらい花を咲かせる
只今お食事中♪
クモより大きなバッタ
うまいぞ〜?


2008.8.28(木) 「転ばぬ先の杖」教室No3 in 江尻親和CH
江尻区福祉委員会主催の健康教室が開催されました。
今日は、お隣の沖地区と合同開催で、1時間ほど転倒予防体操の実施、その後は「民話を聞こう」という内容。
体操は、ふれあい公社所属の体操ボランティアさん3名にお手伝いをしていただきました。

また、お楽しみの民話は、赤磐市立中央公民館でご活躍中の「民話の寺子屋」グループから、3名お越しくださいました。
平素から図書館で民話を語り、また介護施設など訪問し、好評を得ている実力派グループです。
語り部が”その昔〜”と始めると・・・あまりのおもしろさに会場は爆笑の渦。
あっという間に物語りは終了しました。いやぁ、民話ってホントに良いもんですねぇ〜。

お世話になりました皆様に深く感謝いたします。

転倒予防体操開始!
壇上には体操ボラの方。
お隣沖地区の区長
(福祉委員長)ご挨拶
久山 和子氏の
「千両うそ話」
樅野 志郎氏の
「松山鏡」
渋谷 通夫氏(講師)の
「へっぷり嫁さん」
ハーモニカの伴奏で
童謡を歌って終了


2008.8.23(土) 第28回サマーフェスティバル in 江尻レストパーク
江尻連合壮年会・江尻区主催による標題の夏祭りが午後6時から開催されました!
早朝からの雨で一時開催が危ぶまれましたが、それから曇天状態で、会場準備も着々と進み、
午後6時には溢れんばかりの住民が会場に集まっていました。
テントでは、生ビール、焼きそば、たこ焼き、金魚すくい、ヨーヨーなどなど皆地区住民の手づくりで行なわれ、どのお店も長蛇の列。
また舞台では、小、中、高、大人による見事な演技・演奏が繰り広げられ、
終盤にはオークションや受付番号による抽選会など最後の最後まで住民を楽しませてくれました。
夏祭りとしては町内最大規模となりましたが、素晴らしい夏祭りで、子供たちや住民に楽しい思い出を刻んだことと思います。

開会前のレストパーク
こんなに人が・・・
初登場!瀬戸中
有志による”ソーラン節”
合併特例区長
ご挨拶
瀬戸南高生による
備前陣太鼓
ヨーヨー釣れたかな? オークション
軽4が95,000円で落札?


2008.8.23(土) 土曜わくわく手づくり講座No4 in 岡山県立瀬戸南高等学校
早朝から久しぶりの雨にほっとしましたが、雨上がり後、標題の講座に参加しました。
今日は「野菜づくりの基礎知識」ということで、軟弱野菜のおすすめ作型と旬、直まき栽培、セル苗の育苗についてのお話をお聞きしました。
また、受講生が、日頃野菜を作る上での疑問・質問コーナーも有り、分かりやすく回答いただきました
その後実習室に移動し、「ベビーリーフのトレイ栽培」の開始。
トレイに”ガーデンベビー、サラダ水菜、サラダ小松菜、サラダホウレンソウ”の種を蒔き、自宅へ持って帰りました。
この小さなトレイに植えておくだけで、畑にもプランターにも植え替えなくて済むのでホッ♪
2日後には、おそらく芽が出るので、適宜切って食べてくださいとのことでした。
さて、食卓でどんなアクセントとなりますか楽しみで〜す。

お世話になりました瀬戸南高校の先生方に心より御礼申し上げます。

桃源会館にて
野菜基礎編の講習
トレイに育苗培土を
詰める
土に水を浸透させ
種を蒔く
ここでは、肥料や
防虫剤の説明も・・
バーミキュライトを
乗せて完成
8/28こんなに芽が出た。
いただきま〜す。


2008.8.19(火) 岡山初!緑によるウォールアート展 in Cafe du Grace(カフェドグラス)
”この夏、見逃せない緑の絵画。緑と水の音を感じてください。”

のコンセプトで、赤磐市下市にあるカフェに巨大壁画が登場したというので行ってきました!
この壁画のテーマは「流転」、壁の下部はカラシウム(白)で、波のうねりを形作り、上部はつる性植物を雲や雨に見立て、
水の状態の変化をイメージ。左側は、南天の枝やシダ植物など野趣溢れる草木で山を表現してあるとか。
そして、耳を澄ませば水の滴る音が聞こえ、まさに”涼”の世界。
この「バーチカルガーデニング」(壁面緑化)は、造園デザイナー内海浩二氏の作品で、
将来は病院やホテルのロビーなどに施したいとのことです。そのうち家庭にも取り入れられるかもしれませんね。

会期は8月30日まで。Cafeの雰囲気もとてもおしゃれ、飲み物、料理も美味しかったですよ。

ギャラリーの入口看板
右がカフェ。
これが巨大壁画。
約40種類の植物を使用
ギャラリー全体の雰囲気
横壁にもアートが・・
モーニングで〜す。
コーヒー・デザート付
ブレイク
ルコウソウが開花。
ブレイク
斑入りミニ朝顔も
・・


2008.8.9(土) 岡山市民文化大学8月講座 「品格のある社会」 in 岡山シンフォニーホール
立秋の声は聞いたもの、連日の猛暑にうんざりしている中、標題の講演会がありました。
講師は、ミリオンセラーとなった「女性の品格」の作者、坂東眞理子先生。
現在、昭和女子大学の学長さんですが、今の若者への提言だけでなく、大人にもするどいメッセージをいただきました。

いつもながらの長文、且つ自分流解釈ですが、よろしければご覧くださいませ。

講  師 「品格のある社会」講演要旨
坂東眞理子氏
プロフィール
東大文学部卒業後
総理府入省、
埼玉県副知事、
豪州ブリスベーン
総領事など経て、
現昭和女子大学学長
著書に
「女性の品格」など



ブレイク
本日の昼食
プレートランチ
写真の他、
デザート・飲み物も。
皆さん、こんにちは。坂東眞理子です。私は大学を卒業して34年間、公務員をやり、子供が二人、孫が二人います。公務員は、自分の思うことは話ができない職業で、公務員をしながら本を33冊書いた。しかしどれもベストセラーにはならず、34冊目の「女性の品格」がミリオンセラーになった。私は書かせてもらえるだけ、発言させてもらえるだけでありがたいと思っていた。だからこんなに売れて自分が一番感動した。文章が上手なわけでも、衝撃の告白をしたのでもない。日本の社会を見て、これで良いのかと心配することに共鳴した人が多かったからだろう。

秋葉原、八王子、バスジャック事件など次々事件が起こったが、そんな内容の事件が昔はなかった、ちょっとおかしいと誰しも思っている。その影には、引きこもり、うつ病などもあり、また少子化もある。子供を生まなくなった理由に、女性が社会進出し、女性の考え方が変わった。その外、40代で未婚の男性が増えたこともある。40代の未婚男性が21.7%おり、約4人に1人が一度も結婚していない。理由は女性と付き合うのが怖い、母親といる方が良いという。今の若者は、すぐキレルとかむかつく、何をするか分からないし、弱いものいじめで自殺もする。

では、我々は次世代をちゃんと育てたか。地球環境を持続することも重要だが、人間が持続できる社会を作っているか。国際化に伴い、生き残るために格差社会が広がっている。
また、非正社員が、男で19%、女性で54%と増えている。こんな状態では将来に希望が持てないからと犯罪を起こす。

私は社会の責任より、個人が問題ではないかと思う。個人がしっかり生き、きちんと品格を持って生きることが重要である。個人がしっかりすれば、会社も地域も家族もしっかりする。社会が悪いからではなく、個人がしっかりすることにより、社会ができる。

それでは、良い個人を作るにはどうすれば良いか。
まず、教育があげられるが、これは貧しい方がうまくいく。両親の大変さを見て子供は頑張る。ゆとりがあると、のびのびと甘える。豊かな社会の子育ては難しいのだ。
ところが豊かでも、そうではない教育をしている民族もある。イギリスは、議会制民主主義を世界で初めて行なった経済大国だが、エリート教育をしっかりやる。青年を寄宿舎に入れ、質素な生活をさせ、スポーツで体を鍛える。そして権力を持っている人は、いざという時は、率先して国のために奉仕する教育を受けている。

また、ユダヤ人は、ノーベル賞受賞者が多く、銀行家、芸術家など多いが、子供の教育に熱心である。頼りになるのは自分の身につけた能力であると叩き込まれる。どんなに金持ちでも追い出されるような事態になると、皆捨てて出て行く。それは、自分しかないと知っているから。
華僑の人も子供はしっかり育てる。特に危機管理意識はしっかりしており、お金持ちも多いが、兄弟を世界に散らばせ、リスクの分散をしている。

アメリカは日本に民主主義をもたらしたが、中流以上の家庭では、子供が親と同居しているうちは厳しい。親の権威を認めている。例えば母親の重い荷物をさっと子供が持つように。オーストラリアも同様、家庭の仕事は、みな分担させている。

外国人が「日本の母親は、子供の召使ね。」と良く言う。日本は、至れり尽くせりで、子供のために母親ができることを精一杯やる。これを親の愛情と思っている。すると子供はこれが当たり前で自分で何もできなくなる。ペットは、野生の動物のように、自分ではエサを取らず与えられたものだけ食べるのと同じである。
私たちは教育を失敗したのか。のびのび個性豊かに育てたいと思ったが、これは次元が高い目標であった。オリンピックの100m競争で優勝しろというようなもので、基礎を身につけず、海に放り出している。ピアノやバイオリンの稽古は、繰り返しの練習でその退屈さに耐えられず脱落する者がいる。芸道も型を学び自分のものにするように最初の型作りの部分を学ばないといけない。
まず、生活習慣の基礎を教える。”早寝、早起き、朝ごは”んと言われるが、親が夜更かしして朝食を作らないのはだめ。親が自分を見直す。生活リズム、栄養を身につけることは基礎の基礎であり、心身が健康でないといけない。

外国人が、電車で驚くことに子供が先に座ることだ。日本の子供は、足腰が特別ひ弱なのか。高校生は足を広げて席を占拠し恥ずかしい。子供の頃から、親は立っても子供は座らせるのが当たり前になっている。マナーに関しても、自分優先が多く、周りが目に入らない。しかし、自分の友人とか知り合いになるとそうでもない。それ以外の人に目が向かないのだ。

次に挨拶ができることが社会の第一歩である。昭和女子大学では、守衛さんが学生に「おはようございます」と挨拶するが、学生に必ず返事をするよう言っている。授業前には起立し「お願いします」終了後は「ありがとうございました」というふうに指導しているが、先生方は何もそこまでしなくとも・・・と言う。しかし、小学生ができることが大学生にできないと恥ずかしいのだ。そのうちできるだろうではだめ。結局分からないまま、のそのそ生きていく。大人でも型どおりの挨拶ができる人は意外に少ない。冠婚葬祭なら、その場にふさわしい挨拶ができるよう、時と場所を心得て型どおりの挨拶の身につけないといけない。これは社会生活の基本である。

服装も同じで、私は若い頃、服装はどうでも中身ができていれば、人格はにじみでると思っていたが、それは違う。およそ外見が9割、中身1割の判断をされる。第一印象が悪いと次のチャンスはない。変な人と思われ取り返しようがない。職業にふさわしい服装をし、イベントがあれば、主催者に対する敬意を払い、ドレスアップ、あるいはドレスダウンをする。外見をきちんとすれば心に張りが生じ、自信が持てる。定年後でも、きちんした服装をすれば若々しく見える。どうせもう年だから・・など「どうせ」が入るとだめ。形が心を動かす。外見を整えることは品格を保つ。

また、仕事はとても大事で、人間として不可欠のものであることを伝えないといけない。自分の個性に合う仕事ができないからと、3年で3割が退社する。どこの会社も新人に重要な仕事はさせない。簡単な仕事から様子を見て重要な仕事をさせる。大学を出たのだから自分に合う仕事をさせろと思っても、初めから楽に儲けられるわけがない。我慢して、給料をもらう。人の世話になるのは恥ずかしいことで、仕事で社会とつながるということを若い人に伝えなくてはならない。
やりたいことは、やらないといけないことをやってからだと。今の世の中、楽をして金をもうける人がえらいという風潮になっているが、額に汗してこつこつ働く人が、社会を支えている立派な人なのである。

幕末・明治に日本に来た外国人が、日本人を見て、こう言った。「庶民が勤勉で、田んぼは庭園のように手入れされ、小さい家だが清潔だ。」と。その頃は真面目に働き、お天道様に恥ずかしくない暮らしをしていたからである。
六本木ヒルズは勝ち組とあこがれる人は多いが、大人がそうではないときちんと伝えないといけない。長期的にお金を作るビジネスモデルを作らないと仇花で終わる。また長期に維持するためには、良い人間関係を保つことが大事と伝える。

私は、大学でゆとり教育を受けた学生達に「ゆとり教育と学力」というレポートを提出させた。ゆとり教育を受けてよかったという意見が多いと思いきや、9割以上が我々は、被害者と答えた。「私たちは、負け組みです。円周率も3で学び、台形の面積も習わず、基礎を学んでいない。学力も落ちる。」と。
子供の頃に知るべきこと、身につけることはきちんとすること。本を読む訓練も当たり前にできるように、とにかく基礎をつけるようにする。

では、個人としての大人が子供や後輩、孫にどのように接すれば良いか。それは相手に関心を持つことであり、良いことは褒めること。アメリカにいた頃とにかくよく褒めてくれた。お世辞と分かるものではなく、具体的に褒めるのだ。
「女性の品格」に花の名前を知っているのは品格があると書いたが、名前を知っているのは関心があることで、自分を見て関心を持ってほめてくれれば、新しい関係が成り立つ。正確に名前を覚えるのはとても大事なことである。そのことで、いつか大変なショックを受けた。派遣の社員は3ヶ月程度で交代するから「派遣さん」と呼ばれ、パートは「パートのおばさん」と呼ばれ軽んじられていることだ。

例えば、”情けは人のためならず”という諺が、良く誤解されているが、いつか自分に返ってくると言うことを若い人に教えてあげるないといけない。
50〜60代になった我々はどう生きれば良いか。自分らしく個性的にのびのびとではなく、きちんと基礎ができ、社会に何らかの形で役に立つことが重要である。”人に迷惑をかけなければ何をしても良いでしょ。”と言うが、「人に迷惑をかけない」は、入口で、目標ではない。
自立ということは、基礎として大事だが、目標ではなく、自立したら人の世話をすることができ、相手が必要としていることを与えることである。

アメリカにいた頃、ボランティアの人が毎週夕食に招いてくれ、家族と同じ食事をした。孤独な一人暮らしの中、お世話になった経験がないと私もこんな考えにならなかったかもしれない。

私は、小、中、高、大学と自分の力で勉強したように思っていたが、実はいろんなお陰で教育が受けられたのである。
社会に育ててもらったから、社会に何かお返しすをるのは当然である。これはどういう立場でもできる。いろんな形で人の世話をする。決して報いを求めることのないように。それが自分の品格を保つことであり、品格のある社会ができるのである。

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