風のひとこま

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4月 方丈の大庇より春の蝶(高野素十)
方丈」は丈(3.03m)四方の意と、寺の長老の住しているところ、あるいは住持・住職一般を指す場合があるが、
大庇であるから寺の奥まった老僧の住まいと思いたい。
一匹の蝶が、深い庇から忽然と湧いて、明るい春の空に舞い出た、という句意。
のどかな春日の中の一些事、しかし、鮮やかで感動的な一瞬を素早くとらえた句である。
春日の明暗と、しんかんたる寺院の澄んだ大気がおのずから感じられる。

2008.4.29(火) フクロウのヒナその3 in 赤磐市
前回フクロウのヒナは4羽とお伝えしていましたが、本日、鳥へぇ氏より”5羽目がいた!”
との連絡を受け、午後から見学に行ってきました。

5羽のうち、長男さんは、見えず、多分親と一緒にもっと離れた場所にいるのだろうということ、
次男と3男さんは高いヒノキに仲良く並んで居眠り。
長女さんは生まれた木の上に、次女さんは、ウロにいたがすぐに隠れてしまい撮影は不可能でした。

また、この木に
「なんじゃもんじゃの木」が寄り添うように生えており、その花が満開となっていました。
「なんじゃもんじゃの木」は、「ヒトツバタゴ」と言い、プロペラ型の白い花、まるで雪をかぶったような美しさ。
明治時代、東京の青山練兵場(今の明治神宮 外苑)の道路沿いにこの「なんじゃもんじゃ」が あり、
名前がわからなかったので 「何の木じゃ?」とか呼ばれているうちに いつのまにか「なんじゃもんじゃ?」
という 変わった名前になってしまったとか。


鳥へぇ氏のお陰で、フクロウや珍しい花も見ることができ、感謝するばかりで〜す。

ウロから出てきた
長女(?)さん。
違う角度から・・・・
相変わらず眠たそう
最後はこんな
可愛い寝顔
ヒノキのてっぺんに
兄弟がいた。(足を数えて)
なんじゃもんじゃの木
満開ですよ。
新緑に雪のような
花が冴えます。


20084.27(日) フクロウのヒナその2 in 赤磐市
いよいよゴールデンウィーク突入ですね。このような人手が多い中、風はどこに行く予定もありませんが、
4/22にUPしたフクロウの様子を見に行ってきました。
ヒナは1羽〜2羽くらいかなぁと思っていましたが、な〜んと4羽もいました!
既に2羽のヒナは近くの木に飛び移って睡眠中、残りの2羽がウロの中で同じく眠たそうにしていました。
鳥へぇさんのお話では、いったんウロから出たヒナは、ウロに戻ることはなく、だんだん元の木から離れ飛び立っていくそうです。
そんなヒナの様子をご覧ください。感動もんですよ〜。

いたいた、2羽のヒナが
ウロの中に・・・
1羽は2〜3m離れた木に
止まって・・
警戒しつつも
眠たそう・・・
もう1羽は10mほど
離れた木の上に・・
僕も眠いよぉ〜。 自然界の掟
ネズミが食糧に・・・



2008.4.23(水) さくらシリーズNo15(最終回) in 新庄村(凱旋桜)&醍醐桜(真庭市)
本日は、県北出張の命が下りましたので、ついでに全国的に有名な醍醐桜と凱旋桜をキャッチしました。
新庄宿は、岡山県新庄村に位置する出雲街道の宿場町。
ここは、1906年(明治39年)に日露戦争の勝利を記念して植えられた「凱旋桜」の桜並木(約800m)があり、
毎年4月中旬には満開の桜と昔ながらの街並みを楽しむ見物客で賑わいます。

また、醍醐桜は、吉念寺地区の標高500mの高台にあり、推定樹齢1,000年と言われる桜。幹の太さが9.2m、高さは18mほどあり、
元弘2年(1332年)に後醍醐天皇が隠岐配流の際、この地に立ち寄った際、絢爛と咲き誇る様を称えたのが名の由来だそうです。

凱旋桜は、散り染め、醍醐桜はほとんど葉桜となっていましたが、見学客は後を絶ちません。

わずかな期間ですが、桜が人々に与えてくれた感動は、写真や文章に表現できるものではなく、
それぞれの心に深く深く刻まれるものと思います。

さくらシリーズは、これにて終了で〜〜〜す。(ご覧いただきありがとね。)
どこの桜にも、来年のシーズンに備え、十分栄養・休養をとって欲しいものです。

新庄宿の凱旋桜
落花はらはら・・・
ロマンが溢れる。
川原の枝垂桜が
満開できれい!
葉桜となっても
この威容!
千年桜だけありますね。
左が2代目醍醐桜
葉の勢いがすごい!

右が現役の醍醐桜
吉念寺地区集落
この方達に醍醐桜は
守られています。
ブレイク・・岡山にちなむ
絵柄をあしらったネクタイ
(4タイプ)300本が高島屋
で販売されました!
鬼と桃太郎のゴルフ図を
購入したよ。本日の
山陽新聞「拡大鏡」掲載


2008.4.22(火) フクロウのヒナその1 in 赤磐市 & ありがとう!秋祭りのだんじり in 出屋敷
昨年、鳥へぇ氏のご案内で赤磐市のフクロウのヒナを見る事ができましたが、
今年も”いるよ♪”と連絡があったので、急遽3人で出かけてきました。
方向音痴の風にとっては、山また山を越え、どこをどう走ったのかさっぱり分かりませんが、目的地に到着すると・・
おおっ!いたいた!古木(大木)のウロに可愛いヒナが・・・・
最初、目を開けていたヒナ。ところが、すぐに目を閉じて眠りこけてしまいました。
親フクロウも近くにいたようですが、我々の足音をききつけたのか、どこかに飛んで行ってしまいました。

驚かせてごめんね。フクロウさん、今年も姿を見せてくれてありがとう。

また、本日、うなり練習で江尻親和CHに行くと、秋祭りのだんじりが出されていました。
これは、oniビジョン瀬戸チャンネルでも放映されていましたが、出屋敷秋祭りに永年使用されていた山車を
今秋、新規購入することになったので、必要な地区・団体があったらご利用くださいということでCM撮影されていました。
子ども達だけでなく、大人にも夢や思い出を与えてくれた出屋敷のだんじりに感謝の念を込めUPいたしました。

ウロの中のヒナが
見えるかな?
おや、誰か来たぞ・・・ でも、眠いよぉ〜。 出屋敷のだんじり
引き取り手、募集中。
西川緑道公園の
御衣黄が満開♪
〃 ヒラドツツジも
すぐに満開しそう。


2008.4.20(日) 第3回瀬戸さくら杯&瀬戸体協20周年記念回グラウンドゴルフ大会 in 瀬戸町総合運動公園
五月晴れの本日、標題の大会が開催されました。参加者は、約110名。
8時30分より、本大会スポンサーであるさくら祭典様の豪華賞品が並ぶ中、開会式が始まりました。
競技上の諸注意の後、プレー開始。今日はグラウンド2コースと芝生1コースの計3コースで競い合いました。
風たちの対戦相手は、ここをホームグラウンドとする南方軍団。レストパークと勝手が違いボールは思わぬ方向へ行くばかり・・・
見かねた南方チームが親切にアドバイスしてくださり、何とかゲームを終了。
昼食もさくら祭典様よりいただき、表彰式でも優勝者には自転車までプレゼントされました。
体協からは、20周年を記念してスポーツ上着もいただき大変お得な大会でした。
成績は?お恥ずかしくて言えまっせん(涙)。
お世話になった関係者の皆様に心より御礼申し上げます。

開会式
瀬戸体協会長
土井戦治様ご挨拶
さくら祭典様の立派な
幕をバックに必殺の一打!
芝生に移動。
気分転換して頑張るぞ〜。
チーム内の成績発表
ワクワク♪
表彰式
優勝者に贈呈された
自転車だよ。
ブレイク
ジョワさんちの種で
スイートピーが開花!


2008.4.19(土) 第18期 岡山市民文化大学2008 in 岡山シンフォニーホール
本日は市民文化大学3回目の講座、講師は帯津三敬病院理事長・名誉院長で医学博士の帯津(おびつ)良一先生でした。
先生は、医療の東西融合という新機軸を基にホリスティック(全体的、統合的)なアプローチによるがん治療を実践。
「からだ」「こころ」「いのち」が渾然一体となった人間をそのまま丸ごと捉えるホリスティック医学。
ということで、講演が始まりました。
ちょっと太目の帯津先生は、流暢な語り口で、我々が知らなかった現代養生訓をお話くださいました。
が、昨夜の睡眠不足がたたり、いつものメモが走らず、何をお聞きしたかさっぱり?
以下、聞き間違いも多く、自分勝手な解釈による支離滅裂な文章ですが、雰囲気だけでも・・どうぞ。

次回は舞の海秀平先生ですよ。

講師 今日のテーマ「これからの養生−場(ば)と旅情」
帯津良一先生

著書:健康問答、
ガンを治す大時典、
自然治癒力の驚異、
大養生など



本日の看板

 今日はあまりの人の多さに驚いています。岡山には何度か来たがよく覚えていない。
私は埼玉県川越市で病院をやっている。食道ガンを専門にやっていたが西洋医学の限界を感じ、中国医学を併せた病院をと思った。ホリスティック(全体的、統括的)の考え方は、アメリカよりやってきたが、これは人間丸ごと、体、心、命をとらえる医学を目指し推進している。しかし、この考えが浸透するのはかなり先のことで、私が生きているうちは無理かもしれない。
私は今72歳で「人生古来稀なり」という年代になった。例えばローマの哲学者でもあり政治家のキケロは、老年についてこう述べている。@公職から離れる淋しさ、A体力の衰え、B楽しみが減る、C死が近づく。

@について、私は月〜金まで川越と池袋のクリニックで働き、土曜日は雑用程度の仕事をやっている。ホリスティックは、がん患者を前に出そう、一歩でも前進させようと病院の場のエネルギーを高めている。

五木寛之氏の記事に「私は、今まで病院に行ったことがない。18歳で早大の試験のためのレントゲンを撮ったきりである。」とあった。彼が健康かと言えばそうでもなく、偏頭痛、腰痛、尿関連などいろいろあるようだ。しかし五木氏は「病院に行くと気が悪い、変になるから行かない」と言う。この考えは正しい。だから病院と言う場に私は心を砕く。
私の病院には医者、看護師など110人ほどの関係者がいるがわたしと同じような考えを持っているのは30人程、残り80人はそれほどでもない。26年間の経験でもこんなものであるが一歩でも病院のエネルギーを高めたいと思っている。
 
以前、池袋メトロポリタン会長より、電話があり一献差し向けたいということで会ったら、「これからは健康と観光の時代である。ついては統合医学のクリニックを備えたホテルを作りたいので医者を紹介して欲しい。」と。私は、ホリスティックが制圧できるのではないかと思い、「私がやりましょう。」と答えた。
池袋クリニックでは、漢方、鍼、灸にホメオパシーを取り入れている。池袋に場を作ると川越のエネルギーが上昇した。
私は、6時20分には病院に入り仕事をしている。開設以来、私より早く来る職員はいない。時には多忙のあまり癇癪をおこすこともある。

A体力の衰えについて
私はご覧のように太っている。”(目に青葉)朝の気功に夜の酒”が私の健康法で患者と一緒に気功をやり、旬のものを食べる。朝食はしらす干しとか佃煮のあっさりしたもの、
昼食は他の職員は患者の普通食と同じだが、私は忙しいので一皿で済むカレー、チャーハン、ラーメンなどにしている。 
その代わり夜は18時30分には食堂に行き、ビールを飲み始める。おかずは栄養課の職員がしっかりご馳走を作ってくれるのでビール、ウイスキーなど飲みながら1時間半ぐらいかける。やはり酒がないと養生法が完成しないのである。
 
「死後の世界」研究という本を堀・隈元氏が出しているが、五木氏との対談の中で、「メタボはどうか。」と聞かれたが、「余計なお世話ですよ。」と答えたのが活字になった。堀氏はおそらく死後の世界をかいま見たのだろう。対談内容を適当に書いてくださいと言ったら、言ってないことまで書いてあった。「太っていることが病気になるのか。これは、製薬会社と医師の陰謀である。」口に出してはないが、腹の中で思っているとおりを書いてくれた。
文芸春秋では、「メタボなんか怖くない」という対談を企画し、太っているものばかり集められた。腹回りが1m以上ということで大乃国、矢野誠一、森永卓郎そして私である。この3人は、太っていることを意に介さない。後ろめたさもないし、食べっぷりも良い。潔く明日から軌道修正すれば良いと思っているのである。

体力的な衰えと言えば、私は全力で走ることができない。講演に遅れそうになって一緒に乗っていた大学生と同時に電車から降りて走ったが、気がつくとかなり離されていた。

B楽しみについて
伊那谷の老師加島祥造氏(詩人、アメリカ文学者、"求めない"からはじまる詩、約100編を収録した珠玉の詩集で有名)は、大事なのは心のときめきだと述べている。ときめきは色事だけでなく、私はいろんなことにときめいている。どういうときときめくか聞かれた時、私は「カツどんですね」と答えた。私はそば屋で飲むのが好きでちょっと飲みたい時は一人で飲んで帰る。とろろそばを食べようと思っているのに「カツどんをください」と言っている。

患者からの質問に「そろそろ肉を食べても良いか」と聞かれたら「レールは、ずっと乗っていなくても、踏み外すためにある」と答える。「月のうち、どのくらい食べても良いか?アルコールはどうか?」と次々聞かれるが、リラックスするとリンパ球が増えるので適度に食べさせる。

C死が近づくのは惨めではない。私は80歳を越えるのかどうかは分からないし、20歳の者が明日事故で死ぬかもしれない。若いから有利と言うことはない。五木氏著書に「明日死ぬと分かっていてもするのが養生」という最後の一行がある。これからは攻めの養生が大切で、ホリスティックは体だけでなく、心と命を見る。
養生とは生命を正しく養うことで、命は昇り続けて死ぬ時がピークとなる。ボケは、本人の内なる命は向上するが脳が傷んでいる。死後の世界にど〜んと突入するには、日頃の命のエネルギーを高めることが必要である。

遠藤周作は、あの世から通信するからと言って死んだが、まだ届いていない。夏目漱石は、「理想の大道を行き尽くして、途上に斃(たお)るる刹那に、わが過去を一瞥(いちべつ)のうちに縮め得て初めて合点が行くのである」と小説”野分”に書いている。「私の意識が、生の全てである。しかし私の全てではない。死んでも自分はある。」と。

長野のセミナーで胃がん86歳の人が、再発したようなので何もする気がしない。検査も断っても良いでしょ。どうせもう先は長くないのだから・・と言った。五木氏の言葉に「人間死ぬまで養生、その勢いで向こうに飛び込むのが大事。少し手前でそれをやる。人間には死に時がある。」
宗教家道元は54歳、空海、最澄、日蓮は60才前半で死んだが、親鸞は90歳、法然は80歳で死んだ。他力本願の方が良い。健康法の大家はだいたい80歳前後で死ぬ。程よくちょうど良いとこで死んでいる。

太極拳の楊名先生とは、時々飲んでいたが、「生きるも死ぬもあるがまま。貴方の病院で死ぬから頼むよ。」これは困った。つまり医学の介入しないことが前提であったが、何もしないのでは家族に恨まれるので、世界的権威の医師にも診てもらった。素晴らしい最後であった。

加島氏と対談の前には、彼の情報を知るため、事前に相当な本を斜め読みした。中にヘルマンヘッセの詩が出てきた。「喜んで朽ち果て万有の中に崩壊していく」万有とは虚空であり、崩壊は天台宗で言う体をくつろぎ放つことである。中野孝次と加島の名があったが、この訳はおそらく加島氏がしたのではないか。

ホリスティックは場の医学である。場のエネルギーは人の場により高まる。がん治療で日ごと良くなる人がいるがそれぞれに共通の項目はない。いい場に身を置いた人が良くなる。いい場とは、医者、病院、伴侶などいろいろある。だから自分も努力し、共有する場のエネルギーを高める。命の場のエネルギーも高めながら外の環境エネルギーも高める。

旅情とは、虚空からこの世にやってきてまた帰る旅人のことである。時々溢れ出させたり共有したり、相手も同様である。
高校の時、忘れえぬ恩師がいた。英語の小島信夫先生で、1954年芥川賞を受賞しているが、この先生は教科書を一冊持ってふらりと入り、英語で読んでは、しばらくして訳し、また英語で読んで訳すということの繰り返しのみ。しかし、誰も何も言わない。居眠りもしない。生徒はこの先生が大好き、当てられることもない。先生は生徒の名前も知らない。いったい何の本かといえばサマセットモームの本であった。これは、ふるさとを捨て異郷に生きる人がテーマの本で、人生の旅情が描かれている。この先生は、17〜18歳の生徒に旅情を湧き立ててくれた。そういう存在として人を見る癖をつけなくてはいけない。

20世紀の西洋医学は、相手を壊れた機械として医者は修理するプロフェッショナルであった。しかし、相手は旅情を抱いている。ホリスティックは、命のエネルギーを高めるプロフェッショナルで、今までの修理工の医学から格闘技の医学である。互いに高めあい、敬いあうことが大事である。が、ホリスティックのスタイルは試行錯誤している部分もある。

入院患者には、戦略会議を行うが、これからどうするか本人と相談する。人間は悲しくさびしい存在である。そば屋で一杯飲んでいる時、まわりを観察すれば、一人で飲んでいる者がいっぱい居る。皆悲しげで肩の辺りに哀愁が漂う。ここへ希望の種を蒔く。すると、ときめく。これが続くと明るく前向きになる。哀しみ→希望→ときめき→明るく前向き→哀しみ→希望→ときめき・・・の繰り返しである。

がん患者には、あなた流にやってください。そして時々ときめいてください。感性・直感を磨くことも大事。

幕内秀夫氏の著書に「粗食のすすめ」があるが、たまには肉を食べても良いと彼も進化してきた。
私は気功を26年やっているが国際的免疫学者阿保徹氏は、気功は副交感神経が優位に働き免疫力が向上すると言われている。
いい仲間、良きリーダーに恵まれ出来るだけ長くやる方が良い。ちょうどウイスキーを寝かせるように・・・


2008.4.16(水) さくらシリーズNo14 鬱金桜 in 吉備路文学館(岡山市南方)
本日は、見上げれば今にも降りだしそうな空。大急ぎで吉備路文学館の鬱金桜(ウコンザクラ)を見学に行ってきました。
ここは薄黄緑色の鬱金桜が有名で、8分咲きくらいとなっていました。
ちょうど文学館は休館、人っ子一人いず桜は風の一人占め状態でした。


 鬱金桜はオオシマザクラ系のサトザクラの一種で、花は薄黄緑色。花径は、一般の桜より大きく、四センチ前後。
花弁は十枚から十五枚。開花して、四、五日たつと、花弁の内側からピンク色になり、やがて花のかたちのまま、軸ごと落下します。
薄黄緑のこの花が、いつ頃から好まれていたのか不明ですが、安永六年(1780)の書物「都名所圖會」には
鬱金の桜が京都の御室の仁和寺に植えてあると載せられています。(別名:
 黄桜、黄金桜)
岡山駅から近く、閑静な住宅街にある吉備路文学館のたたずまいには心癒されますし、まだ数日は楽しめそうですよ。

桜の根元にある
立派な石碑
見てみて
こんなにきれい!
ピンクの桜も良いけど
こちらも素晴らしい。
宗堂桜との
ハーモニー♪
庭園に咲いていた花
名前は?
同庭園に
ツルタチソウも群生。


2008.4.15(火) さくらシリーズNo13 in 岡山県立青少年農林文化センター(三徳園又は小鳥の森)
今日は初夏を思わせるような晴天、風は午前の会議終了後、三徳園の桜をキャッチに・・・。
三徳園は農山村の伝統と文化的遺産の展示施設として、
また、農業者や青少年の研修と交流の場や、都市近郊の農業公園としても親しまれています。
 園内には「桜並木」「桜類の展示園」等があり、樹齢50年以上の老木から新植のものまで約50品種、400本余り。
品種が多く、3月下旬から5月上旬まで花が楽しめ、特に四月下旬開花の黄緑色の花ギョイコウ(御衣黄)は、人気が高いとか。
 桜以外にも中国ボタン100種、1,000株、ツバキ32品種160本、郷土樹木245種等を展示栽培しています。

今日も半分以上散ったソメイヨシノや見頃のウコン桜の下でお花見を楽しむ方たちがいました。

評判のギョイコウ(御衣黄)は硬い蕾鳥の声と共にまだまだ各種桜が楽しめますよ〜。

紅豊(ベニユタカ)
名のとおり紅が豊か。
白妙(シロタエ)
ここで一番好きな桜です。
紅枝垂(ベニシダレ)
隣に普賢枝垂もあるよ。
楊貴妃桜(ヨウキヒ)
まだ蕾で残念。
鬱金桜(ウコン)
御衣黄と区別がつくかな?
ボタン園開花情報?
もうすぐ咲きそう♪


2008.4.13(日) さくらシリーズ番外編 in 風んち
今日は、朝からグランドゴルフの定期練習日。
風は、所用のため参加できませんでしたが、練習会後の親睦会を宗堂桜を愛でながらやろう!
ということでメンバー有志が風宅ベランダに集合しました。
テーブルの上にはビール、焼酎、手作り料理、既製品の惣菜など満載。
宴たけなわのところへ雨が降り出し、家の中に避難。そして、延々と宴会は続く。
ゴルフ、祭り、旅行、出屋敷壮年会中組の話等々尽きることなく最後の客人を送り届けたのは23時でした。
宴会時間約11時間、参加者数延べ13名、缶ビール42缶、焼酎約5.8Lという大記録を打ち立てました!
いやぁ〜、やっぱご近所はえぇもんじゃ♪


また、この親睦会最中に瀬戸町文化協会総会が開催されたので、抜け出して参加しました。
総会冒頭で、文化協会顧問である額田桂崖先生(書家)の山陽新聞賞「文化功労」受賞の報告と額田先生から喜びの声をお聞きしまし。
2歳半から筆を持つこと約80年、後期高齢者になったと冗談を言われながらも、今後の書に対する熱意のすごさに感じ入りました。
文化協会は今年も美術館研修、お茶会、歴史探訪、ミュージカル等内容のある行事を企画し、瀬戸町の文化発展のため貢献しますよ〜。

午後12時半
ベランダで宴会開始!
16時 約1名が沈没
中組ひでさん登場!
お口直しに満開の
宗堂桜をどうぞ〜。
盛り上がった二人は
”いつでも夢を”を熱唱
21時半
最後のお客が登場。
H20瀬戸町文化協会総会
額田先生ご挨拶


2008.4.12(土) さくらシリーズNo12 宗堂桜ほぼ満開 in 風んち
瀬戸町で一番有名な宗堂桜が、風んちでついに満開となりました!
この桜の解説は、既にご存知かと思いますが、ひょっと忘れていたらあきまへんので念のため・・・

宗堂桜は八重桜の一種で、花弁が60枚あり、花弁の内側の20 枚ほどが反転してカール状になっています。
このため花は小ぶりながら花弁が膨らみ、他に類を見ない名花として、岡山県の天然記念物に指定されています。
この豪華で神秘的な宗堂桜には、悲しい伝説が残されており、
寛永年間(1624-1640)宗堂山妙泉寺という寺の住職が参道に数十本の八重桜を植えていました。
寺が花につつまれたある春に、上人は法難を受け、桜並木の前で絶命してしまいました。
主の死を悼んだ桜が、花弁の一部を内にまきこみ、結実しなくなったと言われています。

今夜から明日にかけ、また雨だそうですから、宗堂桜が散りますので早目にUPしました。

道路にあふれんばかりに
咲きました。
太陽の光でキラキラ
今年もありがとね、
庭の一隅を照らす桜。
向こうはコーポが乱立
左:さくらんぼ(見頃)
右:ヤマザクラ(蕾)
ヤマザクラはこれから
これから・・・
ブレイク
皇帝ダリアから
新芽がでたよ!


2008.4.11(金) さくらシリーズNo11 in 西川緑道公園その2
開花宣言から約2週間過ぎたのと昨日の大雨や強風で、県南のソメイヨシノはかなり散りました。
県北を除き、桜イベントもほぼ終了したのではないでしょうか。
3/31に西川その1をお届けしましたが、本日は、西川緑道公園その2です。
西川緑道公園は、現在、違う種類の桜が咲いていますが、ソメイヨシノが済むと意外に無関心です。
早朝(7:00頃)の御衣黄(例年より開花が遅い)など撮ってきましたのでご覧くださいませ。
また、平戸ツツジも蕾を膨らませ、もみじも緑鮮やか!新緑シーズンの到来を告げていますよ。

緑の桜(御衣黄)は
蕾から咲き始め
シダレザクラは
満開で〜す。
この桜もステキ! 一番好きなのはこれ♪
バックのもみじも見てね。
ソメイヨシノは散り・・・
足元を彩る。
ブレイク(AM6:00)
本日の宗堂桜(8分咲)


2008.4.9(水) さくらシリーズNo10 岡山県天然記念物「大山桜」 in 灘崎町
お仕事ついでに灘崎町奥迫川(おくはざかわ)の標高約150mの斜面に咲く「大山桜」を鑑賞に行ってきました。
「大山桜」は、エドヒガンとヤマザクラの交配種と見られ、樹齢400〜500年、高さ約20m、根元周囲約8.5m、枝張りが約27mもあるそうです。
奥迫川の駐車場に着くと、山の上に巨大な桜がドームのように見えてきます。
”うわぁ〜〜〜、あの桜じゃ!”と思わず驚きの声。さて、入口から登ること約15分で到着!
地元住民が、登山道等を整備され、滑らないようロープを張ったり杖も置いてくださったり、上にはベンチも設置されています。


山の中に咲く巨木「大山桜」の荘厳な姿。それは、まるで桜の主がおわすかのような神々しさを感じました。

残念だったことは、朝は逆光になるとは知らず、せっかくの桜がうまく撮れませんでした。
写真を撮るなら午後の方がおススメです。

ふもとから見た大山桜
花のドームです。
看板に地元住民の
思いが・・・
登山道(往路)
復路は別な道
こんな急斜面に
桜が・・・
人間と斜面と桜を
比べて見てね。
ブレイク
本日の宗堂桜(4分咲


2006.4.8(火) さくらシリーズNo9 in 和気
今日は、詩吟の定期練習日をお花見会に変更し、和気の桜を見学に行ってきました。
和気在住の会員さんのご案内で、和気駅から歩くこと約15分、桜に囲まれた公園が見えてきました。
近くには和気富士がそびえ、金剛川と吉井川が合流する風光明媚な場所でした。
桜は満開から散り始め、時折強風が吹くと桜吹雪の洗礼を受けますが、これがまた心地よいのです。
みんなでお弁当を食べ、おしゃべりをして、土手のツクシやワラビを摘んだりと童心に戻ったところで詩吟のお花見も終了♪
和気は、藤で全国的に有名ですが、桜もなかなか雰囲気があり素敵でした。

上と下の公園で
桜が満開で〜す。
本日のお弁当
2段重ね、美味しかった。
向こうが和気富士
ツツジが多く咲いてます。
ハラハラと桜が
舞う、舞う。
土手でワラビ採りに
夢中?転ばないでね。
ブレイク
本日の宗堂桜(2分咲)


2008.4.6(日) さくらシリーズNo8 in 砂川の堤(赤磐市)
以前の予想では雨だったはずの本日の天気は晴れ。天の恵みを得て一気に桜が開花。
風は、うなり総会へ行く道中の桜をキャッチしました。
赤磐市の中心部である下市に赤磐医師会病院がありますが、その横を流れる砂川の土手には相当な数の桜が植えられています。
本日、初めてこの桜並木を歩いてみましたが、まるで造幣局の桜の潜り抜けを独り占めしているような気分になりました。
いったい何本あるのか知りりませんが、見ごたえ十分、車も通れませんので、桜シャワーは浴び放題ですよ。
いずれ名所になるのは間違いなし?皆様も是非ご覧くださいませ。
また、風んちの宗堂桜も朝は蕾でしたが、夕方にかけて10数輪開花しましたので、勝手に”宗堂桜開花宣言”しました。

今後の開花情報をお楽しみに〜♪

※ 4/8付け山陽新聞より
赤磐市の砂川流域でつくる団体「砂川地域ぐるみ」は、にぎわい創出や地域交流を目指して15年ほど前から桜まつりを開催。
赤磐市下市から立川にかけて(約1キロ)の両岸には、約250本のソメイヨシノが植えられているそうです。

川面にしだれる桜 医師会病院から
砂川沿いに咲く桜
出口が見えないほど
桜並木が続く。
向こうが病院です。
川面もさくら色♪
我が家の宗堂桜が
開花したよ。
ブレイク
シダレモモも満開じゃ。


2008.4.5(土) さくらシリーズNo7 町屋通りの雛まつり in 備中高梁城下町
高梁といえば備中松山城、頼久寺などを筆頭に江戸時代の町並みが残る城下町として有名ですが、
約70組の雛人形が家々に飾られると聞きつけ行ってきました。
今年で2回目ということですが、前夜祭から始まり、様々なイベントがありました。
特に感激したのは、お茶の先生宅で、お抹茶と桜の和菓子をもてなされたことです。
また、各所で甘酒やコーヒーなどの温かいサービスもあり、高梁の方たちの心意気に触れました。
勝山に比べ、規模もやや小さく歴史も浅いけど、いずれ勝山に劣らない雛祭りになると確信しました。
明日までの開催ですが、皆様もいつか是非訪れてみてくださいませ。

また、高梁の桜もほぼ満開、中でも松連寺の石垣と鐘楼の間に咲いた桜は圧巻でした。

紺屋川の桜
ここを進むと町屋通りへ。
民家の階段に
並ぶお雛様
こちらは玄関に
洒落たお雛様
御殿雛が並ぶ並ぶ。
町屋通りで見かけた
粋な着物の女性
一番古いお雛様
風格が漂います。
平成のお雛様
着物が豪華ですねぇ。
枡の中のお雛様
この札がいたる所に・・
山田方谷の書
他にも著名人がずらり。
松連寺の見事な桜


2008.4.4(金) さくらシリーズNo6 せと川柳の会「花見吟行会」 in 岡山市半田山植物園
恒例のお花見吟行会が、11名の参加者を得て半田山植物園で開催されました。
岡山市街を一望できる日当たりの良い半田山の丘陵地に設けられた約11万uのこの植物園には、
約3,200種、約15万本の植物が植えられています。このうち、桜は1,000本あるとか。
今日は4〜6分咲きといった所でしたが、まさに絶好のお花見日和♪
桜に誘われ老若男女多くの花見客が訪れていました。
また、オランダ政府から、昨秋贈られたというチューリップ2,100本と周囲のビオラなどが織りなす花回廊も見頃でした。
「桜」という課題で各自3句ずつひねり、和やかに楽しく吟行会が終了しました。

ぼんぼりと桜並木の
石段を上へと登る。
満開の桜が
お出迎え
手頃な場所を見つけて
まずは乾杯♪
上から見ると・・
こんな位置
頂上付近の桜
しだれ具合が最高だね。
チューリップの
花回廊
で〜す。


2008.4.3(木) さくらシリーズNo5 in カバヤ食品岡山工場
岡山市御津野々口にあるカバヤ食品岡山工場で、場内の一般開放が始まりました。
約60本のソメイヨシノと約10本のアーモンドに花が咲いて入るとのことで行ってきました。
敗戦後、間もない昭和21年12月、甘味に飢えていた子どもたちにキャラメルを・・・と創設されたカバヤ食品。
人身荒廃した世の中に、子どもたちの夢と平和の象徴としてカバの名前を 社名にしたそうです。
斬新な企画である“カバそっくりの宣伝カー”が登場したのは、昭和27年のことで、
本日も現在のカバ車が展示され、多くの親子がカバ車と一緒に記念写真を撮ったり、
桜の下でお弁当を広げたり、芝生で遊んでいました。
また工場内には、カバヤ食品の歴史、お菓子のおまけ、文庫本等々多数の展示があり、懐かしく楽しく見学してきました。

カバヤ食品岡山工場 カバ車と桜
夢がありますねぇ。
光と影が
桜を引き立てる・・
曇り空にも
美しいさくら。
アーモンドの花(左)
と桜の饗宴
工場内の長い廊下に
歴史がずらり・・


2008.4.2(水) さくらシリーズNo4 in 曹源寺(岡山市円山)
かねてから隠れたる名所として評判の高かった曹源寺のシダレザクラを見学に行ってきました。
曹源寺は、岡山藩第2代藩主・池田綱政が、高祖父の信輝と父・光政の菩提を弔い、また自らの冥福を祈るために、
江戸時代中期の元禄11年(1698)に創建した西日本屈指の臨済宗(禅宗)の大寺です。
また、多くの外国人修行僧(現在は15人)が、この寺で修行を積まれているのも有名です。
その外国人修行僧さん達の笑顔の挨拶を聞きながら、少し歩くと見事なシダレザクラが迎えてくれました。
樹齢40年という2本のシダレザクラが、幅20mくらいに広がりまさに幽玄の世界。
ナイスタイミングで満開のシダレザクラを見ることができ、興奮未だ冷めやらず・・・

曹源寺入口
この石畳も有名
枝垂れ桜全景
池に写る桜が何とも・・
筆舌に尽くしがたい
桜の美ですね。
向こうの建物と
大きさを比べてね。
何輪咲いているのか?
すごいの一言!
RSKイブニングニュースの
取材にお越しでした。

三月 下萌えぬ人間それに従ひぬ(星野立子)
長く寒かった冬からようやく春気動き出して、冬枯の地面から青草が萌えだす。
道の端、垣根のひま、そして野にも園にも青草の芽が萌え出でている。
籠もりがち、またふさぎだちだった冬から開放されて、人間の心にも明るさが甦り、生活も明るく活動的になり、また外出も楽しくなる。
自然の動きに人間も大きく支配され、それに従う。
父虚子がこの句に与えた評の一節に「天地の運行に従って百草は下萌をし、生い立ち、花をつけ、実を結び枯れる。
人もまた天地の運行に従って生まれ生長し、老い死する。」とあるが、自然と人間の間にある摂理を詠っていて、簡潔で大きな一句。

2008.3.31(月) さくらシリーズNo3 in 西川緑道公園その1
花冷えと春嵐が一緒にやってきたような一日でしたが、お仕事ついでに西川緑道公園の桜を撮ってきました。
まだ西川は咲き始めですが、昨日の雨や風で散っている花びらもあり、自然の掟には何事も逆らえないことを桜が語ってくれていました。

西川の桜は、ソメイヨシノ以外多数ありますので、後日その2をUPしたいと思います。

また、昨日(3/30)は、慶応義塾創立150周年記念講演会「学問のすゝめ21」が岡山コンベンションセンターで開催されました。
以前、山陽新聞で参加者を募集しており、タイトルに惹かれて申し込んでいましたが当たるかどうかは?だったのです。
700名枠に1,800名もの応募があったそうで、当たってラッキーでした!
テーマは
「終末期のケアを考える」で、下記のようなプログラムでした。

1、俳優 石坂浩二氏
”良い患者にならないために”、2、慶応義塾医学部教授 池上直己氏”亡くなり方を考える”
3、慶応義塾大学院 法科研修科教授井田良氏
”終末期ケアをめぐる医と法と倫理”
4、パネルディスカッション・コーディネーター(文筆家)阿川佐和子氏と講演者による
”終末期ケアを考える”というものでした。
本日の山陽新聞に大まかな内容が掲載されていますが、一番印象に残ったのは井田教授の安楽死と尊厳死をめぐる問題で
死は、患者自身の自己決定に尽きる事、またそれが信頼できることを基本として、
最後に言われた”人間の生命(終末期)は、ゴムひもを引っ張るようなもので、医療が極限まで引っ張ると切れるが、
注意深く伸ばすとかなりな生命の維持は可能かもしれない。
例えば、この人を120歳まで生かそうというプロジェクトがあれば、それなりに寿命がのばせるかもしれない。
そういうイメージで終末期を考える。合法な医療行為が殺人か治療か、どこで線を引くか大変難しい問題である。”ということでした。

なんとなく重厚な雰囲気だった講演会は、パネルディスカッション・阿川佐和子氏の軽妙な司会で、
講演者の本音の部分も聞けたり、素顔も拝見でき、笑いに溢れ心地よい気分で帰る事ができました。
この会場で、かつてoniビジョン・瀬戸町担当で、現在は山陽新聞記者としてご活躍のA氏にお会いしました。
4月20日の紙面に、この特集を組むそうですから、皆様是非ご覧くださいとのことでした。

西川の桜
このくらい咲いてます。
朝日を浴びて
誇らしげな桜
新芽の出た柳と
マッチする桜
咲ききった桜には
葉も出始め・・・
神秘的な一面も
見せてくれる桜
ブレイク 3/30
慶応義塾創立150年
記念講演会の一部


2008.3.29(土) さくらシリーズNo2 in RSKバラ園
岡山市撫川(なつかわ)にあるRSKバラ園では、今日から4月6日までサクラ祭りです。
ちょうどこの方面に用事があったので立ち寄ってみました。
園内には、約200本の桜が植えられていますが、まだ咲き始め。
かろうじて咲いていた2種類の桜を撮ってきましたのでご覧ください。
今は、水仙が見頃、また、クリスマスローズ、カタクリ、イカリソウ、タンチョウソウなども可憐な姿を見せてくれました。
なお、メインのバラは大変良く手入れをされており、5月の開花が楽しみな状態でした。

咲き始めの桜へ
めざとく蜜蜂が・・
淡い花びらの色が
何とも言えずいいね。
梅園の水仙ロード
まさに見頃です。
もう一種類の桜
花が小さく紅がくっきり
春風に吹かれて
楽しそうに揺れる桜
ブレイク 3/27
一人暮らしの方へお届け


2008.3.26(水) さくらシリーズNo1 開花宣言 in 岡山市・後楽園(ソメイヨシノ)標本木
気象庁の予報では、岡山の桜開花予想が26日とされていたので、本日、後楽園の標本木を見に行ってきました。
風は10時半頃到着。標本木の前には岡山地方気象台の方を取り囲んで報道陣や観光客がおられました。
まさに開花宣言の瞬間でした!
5〜6輪咲いていれば開花だそうですが、実際は10数輪は咲いていたと思います。
平年(3月31日)より5日早く、昨年と同日の開花とか。
気象台の方に思わず”おめでとうございます”と言ってしまいました。
この後、園内と旭川河川敷(桜カーニバル開催付近)の桜を撮影してきましたのでご覧ください。
これからわずかの期間ですが、さまざまのドラマを生み出し、多くの人を楽しませ和ませてくれる桜。
 風もさくらを追いかけて頑張るぞ〜。
ということで桜シリーズの開幕で〜〜〜す。

標本木の前で
開花宣言がなされた。
標本木
これも数のうちの桜
後楽園内の桜
まだ蕾が多い。
こちらは荒手茶寮前
一番多く咲いています。
ジョウビタキ(♀)もきた。
鳥の名は鳥へぇ氏より
う〜〜ん。
やっぱ桜は最高だね♪


2008.3.22(土) 第18期 岡山市民文化大学2008 in 岡山シンフォニーホール
本日は市民文化大学の2回目の講座でした。
講師は新党大地代表、衆議院議員の鈴木宗男先生。
鈴木宗男氏といえば”ムネオハウス、疑惑の総合商社”等々で、一時、日本中を騒然とさせました。
どちらかと言えば悪名高き政治家かなと思っていましたが、「逆境から立ち上がった男」として、その動向が注目されています。
講演をお聞きし感じたことは、さすが喋るのがうまい!
2,000人の参加者を見事に取り込み魅了されました。
そして、ムネオ氏から見た政治の裏の世界を垣間見たような気がしました。
以下、講演要旨を覚えている限り書きましたので、長文ながら、ご興味のある方はご覧くださいませ。

また、市民文化大学では、”朋友”という新聞を毎回発行しており、
講演の感想文などを事務局に寄せて掲載されれば、講師の色紙プレゼントと言う特典があります。
風は、前回の五木寛之先生の感想文を送付したところ、ラッキーなことに掲載されました!
五木先生のではなく、昨年の講師の色紙の中から選ぶということで、小池百合子氏直筆の色紙をいただきました。
何でも出してみるもんだね〜。

講師 今日のテーマ「逆境から立ち上がった男」
鈴木宗男先生
新党大地代表
衆議院議員

(本日の看板)



いただいた
小池百合子氏の色紙
アラビア語でアルホップ
意味はだそうです。

 皆さん、こんにちは。鈴木宗男です。私を生で初めて見る人は手を挙げてください。私は、怪獣でも怪物でもなく北海道のじゃがいもです。私の妻の里は呉市で大長みかんで有名な所、昨日はそこへ行き今朝三原から新幹線で岡山へやってきました。

岡山は、懐かしい場所で、かつて故橋本首相の頃、北海道・沖縄開発庁長官をやった。、又平沼先生は、中川一郎氏の応援により3回目で当選した。平沼先生も落選の頃は低姿勢だったが、今は大きな顔になった。

さて、一番辛い時、大変な時は、誰が支えてくれたか?
私はS58年、30代で選挙に出たが、当時政治家の2世以外で選挙に出るのは大変な時代であった。

私が秘書をしていた中川一郎氏が自殺を図ったが、その原因はムネオと言われた。しかし、人が命を絶つ理由はその人にしか分からない。中川氏の妻は、自殺の原因はムネオと言ったが、彼女は自殺の日も一緒にホテルにいたのに私に自殺の白羽の矢が向けられた。
人間は正直に生きれば良い。その証拠に中川氏の兄弟や秘書たちは皆私を応援してくれた。私はやましくなかった。選挙の原点は、権力の側で無い人、声無き声の人が、私の名前を書いてくれたことだ。

私の7つ下の後輩・松山千春は、自分で作詞作曲し歌う。彼は、天才であり私の最高の応援者である。とかく芸能人は、政治と宗教に首を挟むなと言われるが、彼とは33年の付き合いで体を張って応援してくれる。松山の姿にムネオの真実あり。逮捕までされた負の遺産ながら私を応援してくれる。普通、逮捕までされたら人は逃げていくが、TVでも私を擁護してくれた。ムネオを死ぬまで信じ守る、と言ってくれた。私の生き様は間違っていない。そんな彼に、いつか喜びの涙を流してもらいたい。

私は今年、1月31日に還暦を迎えた。小泉元首相は「人生には、上り坂、下り坂、そしてまさかという坂がある」と言ったが、あれは私が逮捕される時言った言葉で、彼はパクることが実にうまい。

今、私は裁判中の身で被告人である。しかし北海道では人一倍頑張り、愚直で認められている。10年前、田中真紀子氏や辻本清美氏は良い人、ムネオは悪代官であった。小泉氏が首相になって何が良くなったかといえば格差社会が広がり、力があるものが善で、無いものが悪の時代になった。私は当時の外務大臣、田中真紀子氏とぶつかった。妻は100倍も人気のある人と喧嘩してはだめと言ったが田中氏が外務大臣をやるとおかしくなると思っていた。当時人気者の田中氏に国会で質問をすれば16,000通もの抗議のFAXが来ていた。

私が小泉首相から首を切られたのは、田中氏と裏取引をしていた管氏の質問で、特定の団体と取引をしているとの件だった。小泉氏から「田中氏の首をとるのでついては協力をして欲しい。」ということで、議院運営委員長のポストをやめた。喧嘩両成敗を図ったのだ。
これについては、平成13年の総裁選に橋本氏と小泉氏が立候補したが大物(橋本氏)は大きなことを言うと公約になるので無難に言うが、小泉氏は当選すると思っていないのでリップサービスをした。その時の約束に田中氏が小泉氏を応援する代償に外務大臣ポストを約束していた。結果は小泉氏が勝利した。田中氏はトラブルメーカーなので使わない方が良いと言われたが仕方無かった。案の定、田中氏は問題ばかり起こした。

北方領土問題も小泉・田中氏でぶち壊した。森総理の時代に歯舞・色丹は日本に返し、残りの2島は今後の話し合いによって決めることになっていた。
ところが、田中氏が外相になっての発言は「日露関係の原点は田中角栄・ブレジネフ会談である。」と30年前のことを言った。ソ連がロシアとなり、共産主義から民主主義になっているのに「当時の会談の息づかいが今でも聞こえる。」と、とんでもないことを言った。
これで日露関係はゼロになった。油が高騰している現在、ロシアはエネルギーの宝庫なので強いのに。
田中氏の後、川口氏が外相になったが、機能しなかった。安部前首相まで外交問題は国益を損ねた。

2002年2月20日、衆院予算委員会で共産党の佐々木氏がムネオハウスについて言及、国後島は台風が来たりすると泊まる場所もなく困っていた。プレハブで友好の家を建設した。これがスズキハウスなら問題無かったが、ムネオハウスとなったので大変。しかもその年の流行語大賞までなった。産経新聞の記者が、国後島にロシアは来ないが、ムネオ氏は学校、診療所も作りいろいろ援助した。と書いてくれたのは良いが、佐々木氏はこれを税金の無駄遣いと言った。
3月11日に証人喚問を受けたが、辻本氏からあなたは疑惑のデパートどころか疑惑の総合商社と批判を受けた。しかしその辻本氏も私より2ヶ月早くつかまった。辻本氏はTVの使い方がうまい。国会中継のカメラの位置は決まってっているので、普通に私を指差すにしても指の先辺りしか映らないのに、わざわざ後ろを振り向いてそこから私を指差した。印象で負ける。

ところで皆さんは私の疑惑が何だったか分かりますか?

ケニアでダムを作ったが、NGOの団体が辻本氏に不要なダムを作っているといったばかりに辻本氏は勉強もせず、質問した。建設会社の賄賂ではないかと。

およそ一般人は権力やマスコミによってたたかれるとだめになる。その人を抹殺しようと思えば、TV・新聞などのマスメディアを使えばできる。マスメディアは反権力と言われるが、権力を持っている側はうまく弄ぶ。小泉氏は、その点を実に上手にやっていた。まんまとムネオがはめられた。バラエティ番組は世論を作る。真紀子は良くてムネオは悪い。週刊誌にもずいぶん叩かれた。何か言えば100倍になって返ってくる。権力と向き合うと何が起きるか分からない。

中部電力の松永安左エ門会長は、人間ひとかどの男になるには、次のうち一つを体験すればよいと言われた。1、浪人生活をする。(職につけない)2、大病を患う(健康のありがたみが分かる)3、逮捕されること。吉田松陰も西郷隆盛も政治犯として逮捕されている。私は437日も拘留された。辻本氏も田中角栄氏も20日で出た。私は検察のシナリオ通りにならないから長かった。

2003年8月29日に保釈され、人間ドックに入ったら胃がんと言われた。当時55歳、人生終わった。しかし人の倍生きたから110まで生きたと思った。
ちょうど選挙の年であり、選挙をやって、手術と思っていたが娘に手術が優先と言われあきらめた。ところが、がんは良性で転移もなかった。思えば、日本たばこ病院と国立がんセンターという最高峰の病院で悪性の疑い、転移と言われながらも良性だったので神様仏様だった。執刀医の佐野Drは、「あなたの体はスパッと切りやすく一番優しい体だった。(無駄な脂肪がない)ムネオ氏は腹黒いと言われるが、切ってみて腹の中はきれいだったのは保証する。」と。

私は2月17日に東京マラソンに出た。なぜ走るかと言えば、がんを公表した時点で、がん患者から手紙が一杯届いた。がんは怖くないから早く手術をとか、限られた命を最後まで生きるとか。このとき、ジョギングが一番良いといわれ皇居マラソンに出場した。

私は前述の浪人生活もし、逮捕もされ、大病もした。3つも当てはまる。

2005年、9月11日衆院選で433,000票いただき当選した。正直に戦えば分かってくれる。中川一郎氏の死、逮捕など越えてカムバックできた。正直に生きていれば、お天道様が見てくれる。
相撲の白鵬、朝青龍などは大変な努力をし、天性もある。イチロー・松井・スターなども然り。しかし、政治家だけは押してくれる人がいないとだめ。また人間関係がうまく組み合って仕事が出来る。人間関係が一番大事である。

拘留中に松山千春や後援者からいつもメッセージが届いた。妻の支えも大きかった。逮捕2ヶ月目で検察は、バッチをはずせとか政治家をやめろとか悪魔のささやきをつぶやく。これは検察の手口で、私ももうやめても良いと思うようになり、妻に任せることにした。妻は、「貴方が悪いことをしたと思うならやめてください。権力に負けないで妥協しないで戦え。」と言った。妻の胆力、思いに私は感心した。その結果、復帰した。
また私が逮捕される時には、下の娘が高1でカナダ留学しており、その日は、ちょうど終了の謝恩会だった。この娘は私に良く似ており一番可愛い。
娘に「父さんはこれから戦いに行くが心配するな。」と言った。娘は「お父さんほど人のためやった人はいない。」と言ってくれた。思えば、人のため、社会のため頑張っている両親だから参観日にも来ないのは当たり前と思ってくれてい娘である。拘留中、時に検事は、ポツリと娘さんはカナダで心配しているでしょうね?こんな言葉にも涙した。父の役割は果たせず妻にまかせきりだったが妻に感謝している。また、週刊朝日に「親子のかたち」というタイトルで私と娘の写真や記事が掲載されているので読んで欲しい。

生きていれば良いことも逆境もある。目的をもっていること、決してあきらめないこと。目的、・目標も100%でなくとも10%叶っても、生きてよかったと思えるように。
いじめや自殺が問題になり、学校や教員が悪いと言うが、一番身近にいる親や家族がその子をなぜきちんと見れなかったか!自分の責任をよそにやり、転嫁する。
自分に厳しく身を律して立ち向かうこと。天国と地獄を見た者として、生きたくても死ぬ人がいる。生かされていることのありがたみを忘れないで人生を全うしたい。


2008.3.10(月) おかやま洋らん展 in リットシティビル
3月9日から2日間、標題の展示・即売会が開催されると聞いたので行ってきました。
会場には、デンドロビウム・シンビジウム・コチョウランなど岡山で生産されている洋蘭が多数展示され、
また、コサージュ作りやパネル展示(押し花・栽培方法)、栽培相談もありました。
風もオレンジ色のレインボウダンスを購入(700円)、おまけとして蘭の花を摘み取ったものをいただきました。
蘭作りは大変な手間がかかりそうですが、咲いた姿は、まさに花々の女王にふさわしいものがありました。

また、3月4日(火)、JR岡山駅2階中央改札口横のコンビニエンスストア「ハートイン」店内に、
ファジアーノ岡山FCのモニュメント(ボールディスプレイ)が設置されたという記事があったので、ついでに写真を撮ってきました。
ディスプレイはアクリル素材、上部には選手の直筆サイン入りサッカーボールを展示してあります。
ファジアーノ(fagiano、ファジャーノ)は、イタリア語で”雉”の意味ですが、
「岡山から全国へ!岡山からJリーグを!」という夢の実現に向け、桃太郎スタジアムから大きく羽ばたいていって欲しいものですね。

ひかりの広場で開催 窓際にはこんなきれいな
蘭が展示され・・・
レインボウダンス
このオレンジを購入
バンダという
紫鮮やかな蘭です。
生産者のいち押し
写真コーナー
ファジアーノ岡山
モニュメント


2008.3.2(日) 倉敷雛めぐり in 倉敷地区
〜春の訪れは「雛めぐり」とともに〜
のキャッチフレーズの元、2月23日から3月9日まで「倉敷雛めぐり」が開催中です。
以前、勝山のお雛祭りを見学しましたが、白壁の町、倉敷へも是非一度訪れてみたかったのです。
今朝のTV、「目がテン」で、ひな祭りのことをしていましたが、菱餅(白、緑、桃)のいわれについてこう言っていました。
菱餅は、医学の進んでいない昔、母親が家庭薬として伝えるためと
季節のうつろいを表現するため、下から冬(白:菱の実で製造)から春(緑:母子草&桃:桃の花)へと重ねていたとのこと。
即ち下から白→緑→桃が正式とのこと。
その記憶が残るまま見学すると、倉敷における菱餅の重ね方は、ばらばら?いったいどこでどうなったのか不思議でした。
しかし、商店街から阿智神社、美観地区、新渓園など廻り、お雛祭りを堪能してきました。

新渓園入口
この幟がいたるところに・・・
商店街
靴屋さんにもお雛様。
阿智神社
正式な菱餅かな?
その奥は違うような・・・
御殿雛
豪華ですねぇ。
伝統が・・・
漂ってきます。
ブレイク
「木鯨舎」で気に入り
購入しちゃいました♪

二月 雪の果泣くだけ泣きし女帰す(大野林火)
女がやって来た。一身上の相談、というよりもはや相談の段階は過ぎて、その後の顛末を相談に来たのかもしれない。
いや端的に言えば泣きくどきに来たのかもしれない。泣くだけ泣くと女は帰って行った。なだめて帰したのであろう。
この作者には珍しい世話がかった句である。ここで作者は、それがどんな事件だったのか、女がどういう女なのかも何も言っていない。
ただそこにことし降りじまいの雪を配している。「雪の果」は「名残の雪」「雪の別れ」「忘れ雪」とも言う。
どの言葉も美しく悲しげだ。作者は、その「雪の果」に、事件も女も降り包ませているのである


2008.2.23(土)〜24(日) 平成19年度公民館フェスティバル in 瀬戸公民館
公民館自主活動グループが、日頃の練習の成果を発表する公民館フェスティバルが開催されました。
また、これは、瀬戸町合併特例区事業の一つでもあります。
このフェスタにエントリーしたのは18団体。
詩吟、コーラス、剣扇舞、カラオケ、銭太鼓、手話、フラダンス、
民踊、民謡、大正琴、腹話術、南京玉すだれなどなどいっぱいありました。
どのグループも見ごたえも聞き応えもあり、見事な舞台発表だったと思います。
公民館は生涯学習の拠点施設、今後ともより多くの市民が公民館を利用し、技術の向上や交流を深めていきたいものですね。
関係者の皆様、大変お疲れ様でした。

開会挨拶
特例区長土井堅郎様
壽コーラス
しっとりといいですねぇ。
ア・カペラ瀬戸
聞きほれました!
菊水流剣詩舞の会
3〜4歳が初舞台!
民謡歌の会
いつまでも続いて欲しい。
初出演腹話術グループ
楽しかったよ♪


2008.2.20(水) 松の菰焼き in 岡山後楽園
かねてから一度見たかった”春を呼ぶ”という後楽園恒例行事の「松の菰焼き」を見学に行ってきました。
昨年秋に、園内の松280本の幹に巻いた菰を取り外し、越冬のため菰の中に入り込んでいる害虫ごと焼き払う、昔ながらの害虫駆除法です。
毎年、虫が活動し始めるといわれている、啓蟄(今年は3月5日)前に行われていますが、
園内には、開始時間前から観光客、カメラマン、報道陣など次々集まってきました。
作業員が松のコモをはずし、ナイロン袋に納めていきますが、中には虫(クモ、毛虫等)もいてフラッシュを浴びていました。
集められたコモは、「沢の池」北側、松林付近で焼かれ、炎が上がると歓声がおこりました。
また、園児達も見学に来ており、先生が”菰焼きって言うのよ〜”と言うと一斉に”こもやき〜”と声が上がり、ほほえましい風景でした。
3月1日〜3日まで”春の後楽園祭”が開催されますし、イベントも多いので、風は”後楽園パスポート”を購入(1年2,000円)を購入。
今後も各種イベントに参加できましたら、こちらへ載せたいと思います。

これが入口看板です。 コモが巻かれた松 いよいよコモに
はさみが入り・・・
松からはがされて
いきます。
そのコモは沢の池前に
積み上げられ・・
点火されました! 炎が上がる、上がる! これは知らないでしょ?
最後は、沢の池の水を
汲み消火、片付けられる。
ブレイク
園内の水仙が香ります。
ブレイク
紅梅ももうすぐ満開


2008.2.18(月) チューリップで地下街は春♪ in 岡山一番街
JR岡山駅の地下街通路に15日、赤、黄、ピンクなど色とりどりのチューリップがお目見え!
とのニュースを新聞で読みましたので、本日見学に行ってきました。
今年は、例年よりやや遅い展示でしたが、もう19回目を数えるそうです。
 新潟、香川など8県から集められた20品種、鉢植え約1千鉢と切り花で合計約1万1500本のチューリップが咲き誇っています。
チューリップの展示は、22日までの予定で、展示終了後は小鉢に咲くチューリップのをプレゼントがあります。

皆様も一足早い春を一番街で味わってみませんか?

今年は本数が増えたよ。
地下改札を出た所へも
路面電車へ行く通路 淡いピンクが
可憐ですねぇ〜
こちらは
鮮やかですねぇ〜。
飾りつけもお見事! ブレイク
現在の西口駅舎付近の
工事状況


2008.2.16(土) 第18期 岡山市民文化大学2008 in 岡山シンフォニーホール
第18回目となる市民文化大学に友人の誘いで入学(?)しました。
主催者によれば、2,000人を超す応募があったこと、また、岡山県生涯学習大学の連携講座にもなったそうです。
この大学は、全部で10回の講演日程となっており、講師は著名人ばかり。
今日のテーマは、「こころの天気図」と題して、作家の五木寛之氏が講師でした。
雑談が多いと言われながら、近年一番問題になっている”心の病気”について、
かなり奥深くお話いただき、人間のこころの天気図が、晴れたり曇ったりする中での
対処の仕方のようなものをご教示いただいたような気がします。
講演内容を是非という陰の声も多く(?)必死でメモを取りましたが、聞き違い、勘違い等多々あります。
カメラ・テープ禁ですから、その点はご承知の上、ご興味のある方は読んでくださいまし。
な〜〜がいぞ〜。次回は鈴木宗男氏ですよ♪

講 師 今日のテーマ 「こころの天気図」
作 家
五木寛之氏


著書>
さらばモスクワ愚連隊
蒼ざめた馬を見よ
青春の門
風に吹かれて
大河の一滴
人間の関係



会場の看板
 今日はこんなに多くの皆様に聞いていただけるとは、まるでドームで話しているみたいだ。私の話は雑談であり、「思い出、ため息、悲しみ」などマイナス思考のすすめが多い。でも、思い出を他人に語り、また他人の思い出を聞くことは大事である。
私は、昔、真冬の札幌へ老後の生き方を話に行った。話をすればするほど、聴衆は頭をたれて、ため息に満ちている。これではいけないと思って励ますが、さらに暗くなり蟻地獄へはまっていく。講演終了後、外に出て、とぼとぼと背を丸めて帰る聴衆者を見ながら、もう講演はやめようと思った。
ところが、道路向かいの立派なホールから出てきた30〜40代の男達は、やるぞという感じで目をキラキラさせていた。いったいどなたがあんなに活気・元気を与えたのかと看板を見たら竹村健一氏の”やればできる!”という講演で、私の題は”人生の無情”であった。

 その後反省し、四国では、”やってできないことはない!”と言う講演をしたが、失敗。それから講演は控えていた。
ところが、最近講演依頼が多い。
以前は学校とかお寺に頼まれていたのが、企業、銀行、IT関連、病院などが多くなった。3〜4年前から企業内で心が壊れている出来事が日々続いている。心とメンタルは違う。大きな問題に直面している企業ほど危機感は強い。毎日、新聞を見ると、米国での銃乱射事件、国内では親が子を殺すなど、ひどい事件が多い。それがあまり驚かなくなっている。これは、心が壊れているのだ。
その根本の原因は何か?物の考え方の偏りである。物には陰・陽、昼・夜、楽しい・悲しみなどバランスがあるが、片方だけになっている。二輪が一輪になっている。両輪でなくてはいけない。

 さて、文芸ジャーナリズムも世代交代し、孫のような編集者と仕事をやるようになった。企画〜完成まで一緒にやっているが、世代のギャップは感じている。
例えば私は万年筆を使うが、「手で原稿を書くのですか?珍しいですね。」と言われる。締め切りに原稿が届くなど非常識の世界で、締め切りが来てから書き始める人も多い。原稿を喫茶店で待っている各編集者達に言い訳しながら3〜4枚の原稿を渡した後、若い人と雑談をする中で、気になることがある。それは、ひんぱんに、”心療内科へ行っている”という言葉が多いことである。
「何で心療内科?」と尋ねると「”精神科、神経科”というほどの病気でもなく、気持ちが鬱々として冴えないまま一日が始まる。同僚達は、いきいきやっているように見える。元気なふりをして働かないとリストラの対象にもなる。帰るとくたびれ、不眠になる。」と。
これが、旧世代だと、生き方を自分に問うが、若い人は心にウィルスが入り風邪をひいたのでは?と思うらしい。本格的なうつではないのだから、心療内科へ行く。するとDRは丁寧に話を聞いてくれ、軽い抗うつ剤を処方する。話も聞いてもらい、薬も飲んで気分がラクになり2〜3ケ月は持つが、また繰り返す。病院より心療内科の方がハードルが高くないし、日常に溶け込んでいて、今やファッショナブルに生きているように、うつの薬の話などが出る。

 ”萎える”という言葉は、花とか野菜などがふにゃっとするということだが、鬱屈したものがある。心が萎える状態は果たして病気か?戦中・戦後は、生き生きして、明るく活気あることはプラス思考であり健康でいられ、暗いことばかり考えると免疫力が落ちると思えていた文化だが、世界中で深く秘められる大事なものと気がついた。

 私は、全国各地の仏像を拝ませてもらったが、地域によって仏像に特色がある。例えば近畿では、慈愛に満ちたもの。九州・西日本ではユーモアな顔で立っているもの、東北では寒気を感じるような怖い仏像があった。風土・歴史が表情に出てくるのかもしれない。
一番印象に残っている仏像は、悲しそうで、泣きそうな仏像だった。この仏像をご本尊にされている寺の住職に、素人考えだが・・・と尋ねた。「仏は全ての衆生をもれなく救い、修行の後、涅槃に入り、安らかに人を和ませるのが普通だが、この仏像の顔が違うのは何故か?」と。
住職は、「”衆生 病むが故に我病む”全ての人を救いたいために悟りを啓いても、救われない人の声や姿が見える。多くの人の苦しみを救えないなら、仏としての意義がないと、仏がため息をついており、慈悲の表現をされている。」と。

 ”慈悲”という言葉をLOVEと訳されることがあるが、分かりにくい。”慈悲”は、慈and悲であり、”悲”は他人がその人の苦しみを引き受けたりあるいは渡したりはできず、その人だけのものである。人の痛みや苦しみは、たとえ夫婦でも母親でも引き取れない。
TV、新聞を見ても人間的でやさしい心の持ち主ほど心を痛め病むのではないか?日々、うつうつとため息の出る人ほど、病気ではなく、人間としての心を残しているのではないか?
例えば30代で、一流社員の健康そのものですごく頑張っている男性がいたとして、その人は衆生が病んでいる時代には、むしろ、元気な方が病んでいるのではという考え方もある。他の誰よりもやさしく、野ウサギのように繊細なので、打ちのめされていくより頑張る。この人は人一倍傷つきやすい。マイナス情報が入ってこないよう明るいニュースだけで生きているのではなかろうか。この生き方が安全かと言えば、むしろ危険である。

 日本は、自殺者が大変多く、H10年で年間、32,000〜33,000人が自殺する事態に政府も対策を打ち出し始めた。しかし、この数は控えめな報道で、一人の自殺者の背景には10人の自殺未遂者がいると考えてよい。すると何百万人と言う人が自殺を考えている。
病んだ心の人は、観音様のような心を持っていると考えた方が良いのではないか。15年にわたるベトナム戦争での死者は63,000人だったが、たったの2年間でベトナム戦争より多くの死者(自殺者)を出すことは、今が有事ではないか。心の戦争で、心療内科はその負傷兵の手当てをしている。

 今は、”うつな気分”というが、弱いだめな人でなく、人間的に優しい心のある人ではないか。TVは”そう”のメディアであるが、ニュース番組担当者などうつの人が多い。
 ”鬱”という漢字は、もともと草木が勢い良く茂る様、エネルギーがあることで、うっそうたる樹林など使用されるが、自分のエネルギーが溢れているのが、出口をふさがれ発酵してメタンガスを出している状態になっている。
次にうつうつとすると言う意味がある。

 ”憂える”ことも大事である。鬱勃たるエネルギーという言葉が明治維新では出たが、今の大学生は自分探しの旅はあっても外を憂えることはなく、どう発揮してよいかも分からないようだ。

 ”愁”という字は、クールでひんやりと冷たいイメージである。人間は死というウィルスのキャリアとして100%約束されて誕生する。哲学は学問の王である。人間とは?人生とは?と求めても、肉体が自分の年齢など言葉にならないものが語りかけることがある。透明感のある静かな心境になる。
”春愁”という言葉があるが、満開の桜を見て、美しいだけでなく、し〜んとしたさびしいものがある。やがて散ることを感じる瞬間である。”憂”も”愁も”いっしょになって鬱を作るが、どちらも大事でしっかり感じて心に抱くこと。

 ”悒(ゆう)”という字は、君子の感動の仕方に使われるが、美しいものに触れたとき、美しいなぁだけではだめで、背後に哀切な感情がないと君子の感情ではないという面白い考え方がある。
 ”恨”は、韓国では”ハン”と読むが、遺産と言う学者もいる。長い間の民族の痛みや悲しみの記憶が、トラウマとして蓄えられ、何千年もの間に人々の心の片隅に、心の青あざのように抱かれている。それは民族の記憶の集積だと。

 友人の話によると、貧しい農村でランプの下で内職をする母が、せんべい布団で寝ている自分にこういった言った。「あんたもやがて物心がついて大人になる。大人になると何とも言えないつらい思いをすることもある。理由もないのに心が萎えてきて、無気力になり、抜けられなくなる。周りが皆敵に見え、夢も無くなり自分を否定することもあるんだよ。そんな時は何をやっても無駄、人は生まれた時から”恨”をかかえている。大人になった時、”恨”が心から訪れてくる。そうしたら”恨”が立ち去るのを待たねば・・と覚悟しなさい。でも、どうしてもだめな時には背を丸め、肩を落とし、しゃがんで深くため息をつき、それを繰り返しなさい。すると”恨”の苦しみは取れる」と。

鉛のような”恨”の重さを取るための息を”恨の息”という。五月晴れのように”恨”が晴れることもあるが、それでも人は心の中に”恨”を抱いている。退治するのではなく、ため息をつくことによって乗り越えていける。

 S16年柳田国男の”涕泣(ていきゅう)史談”で、日本人が”泣く”ことの考察があり、「日本人は良く泣く民族で、泣くことは身体的表現として訴え、大切にした国民だったが、最近泣かなくなった。良いことかな。」で終わっている。
おそらく、それは、困ったことだと言いたかったのだろう。日本人は神話の時代から良く泣いていたが、戦後は泣くことが無くなった。
 
 かつてNHKで、視聴者に漫才を聞かせ、陰で血糖値を測る実験があったが実に単純でどうかと思った。米国の番組では、広い部屋に多くの人を集め、体中に電極をとおし、隣の部屋でその感情をチェックした。最初は、”生涯でもっとも嬉しかったことを思いなさい”と。そして部屋中に喜びが満ち溢れた時に免疫力の向上がとらえられた。

 その後、逆の実験をした。”もっとも悲しかったこと、つらかったことの回想をしなさい。”部屋中に深い悲しみが満ち溢れたときに脳の神経細胞が活性化され、シナプスの動きがとらえられた。笑うことはもちろんいいが、悲しみに浸ることも脳が活性化していく。

 ある歌のグループが老人施設に行き、陽気な曲をやったら、やめてくれ、つらいときには悲しい曲を聞きたいと言われた。
本居宣長は、「人は生涯に悲しいときが来る。そのときは悲しいと思え。口に出して大きな声で人にも言え。その思いが高まり歌になる」と大変興味深いことを言っている。

 悲しみを乗り越えることは難しい。”悲しい”と言い、心から引き剥がすことで乗り越える。うつな気分には、エネルギーや人間らしさがあるから”愁”を感じて、声に出してつぶやいて、乗り越えていくことができるのかもしれない。
笑うことを大切にしつつ、泣くこともため息をつくことも大切に。
深くため息をつき、全身の”恨”を乗り越える。これから先50年は、うつの時代である。しかし、エネルギー、生命力のあるうつの気持ちは大事。これは病気ではなく、菩薩の心であり、果てしなく生きていける可能性を持っている。


2008.2.15(金) 特別名勝・国史跡 岡山後楽園現地説明会 in 岡山後楽園
後楽園の南東部に位置する花交の池は、築庭当初は花交の池から水路を通じて旭川へ直接放流していたようですが、
まもなく川岸に堤防が必要になったようで木製の導水管(樋)を堤防下に埋設し、樋の入口と出口に樋門を設置する方法に変わりました。
この樋は暗渠方式でしたが、歴史を重ねることにより、木の根が大きくなったり、木製なので傷んだり、
かすがいも錆びたりで機能しなくなったため、導水管を取り替えることになったそうです。
岡山県古代吉備文化財センターでは、昨年11月から排水管改築工事に伴う発掘調査を実施。
本日、現地説明会があるというので行ってきました。
なるほど、当時の木工技術や土木技術は、後楽園が大名庭園の施設だけに最高水準の技術が使われたようで感動しました。
現地説明会は、16,、17日にも10:00〜、11:00〜、14:00〜、15:00〜と一日4回ありますので
みなさまも是非見学に訪れてみてくださいね。

10時からの説明会
80人もの人が・・・
テントの中には出土品
も展示されています。
木製の導水管を
つなぐ”かすがい”
かなり下側に
導水管が出現!
導水管本体は全長18m、
幅52cm、長さ35cmの
板を横に並べかすがいで
側板に留めて
ある。
木やかすがいの
傷み具合が
良く見えます。


2008.2.11(月) 薬師寺21世紀まほろば塾 in 岡山衛生会館三木記念ホール&2008.2.13(水) 健康教室 in 瀬戸公民館
法相院大本山薬師寺と読売新聞社主催の標題の講演会のチケットをいただいたので行ってきました。
まほろば塾とは、「物で栄えて心で滅びる」ことを憂い”心のまほろば”を説かれた故高田好胤管主の精神を引き継ぎ、
安田暎胤現管主が立ち上げられたそうです。
やまとは国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる やまとうるはし
意味・・・大和は国の中で一番優れたところである。四方には、青い山々が垣のように折り重なり巡っている。(古事記)

この「まほろば」という言葉を日本中に呼びかけ、日本の心の復活を実現したいと念じておられるとか。

まず、「万葉集に見る日本人の心」と題して漫画家里中満智子氏の講演がありました。
以下、かなり大まかな内容ですが、万葉集は20巻、4,500の句が入っており、1,300年前に編纂されたが

この時代で男女の区別がなく、天皇と犯罪者であっても同列に入り、国に対するうらみつらみを詠んでも、
良い句なら万葉集に入れられるという融通があり、一番民主的な時代ではなかったかというお話。
続いて”歌と愛の人生”で歌手のペギー葉山氏と安田現管主の対談では、
ペギー葉山氏が夫の介護をしながらも歌を続けた苦労話やその夫婦愛、
また、薬師寺の5つの教え@慈愛の心A感謝の心B敬う心C謝る心D許す心、
そしてご縁の大事さなど、心の豊かさとはどんなことか教えていただきました。

薬師寺のトップ3の方が来られ、それぞれご挨拶やお話をされましたが、さすがにお話上手で引き込まれました。
まだまだお聞きしたいなぁ〜と思いつつ会場を後にしました。

2/13の健康教室は、西大寺地域愛育委員連絡協議会瀬戸支部主催で、今年で30回を数えます。
健康教室の会場では、体組成、骨量、加速血流の測定もしてくださる上、甘酒、紅茶サービスあり♪
メインは、岡山市保健所長中瀬克己先生の「国中に誇れるおかやま人の健康づくり」と題して講演でしたが
風は大変失礼ながら途中で退出。講演内容を記載できませんが、愛育委員さんたちの今後益々のご活躍を願うばかりです。

2/11まほろば塾
玄関の看板
2/11まほろば塾
行事終了後の舞台
2/13健康教室
骨量測定中
2/13 〃
加速血流検査中
2/13 〃
瀬戸支部長ご挨拶
2/13 〃
岡山保健所長さま


2008.2.8(金) 第52回備前地区公民館振興大会 in 岡山ふれあいセンター(岡山市桑野)
〜持続可能な共生のまちづくりと共同学習の広がりを求めて〜というテーマで開催された標題の大会に参加してきました。
公民館は、地域住民との協働・参画による地域コミュニティづくりの拠点施設ということですが、
事例発表として「地域でESDを推進するKEEPの実践」(京山公民館)、「地域紹介ビデオづくり講座」(富山公民館)、
国立大学法人和歌山大学副学長山本先生の「時代を切り拓く共同学習の豊かな実践を今こそ公民館から」と題して講演がありました。
聞くところによれば、風が初めて参加したこの大会も予算の関係で、今回でおしまいだそうで、何やら訳も分からず・・。

しかし、崩壊しつつある公民館も多い中、テーマにあるような画期的な取り組みをする公民館をご紹介いただき
おぼろげながら、公民館が地域で担う使命とは何か?
そんなことを問われた大会であったような気がしました。

岡山県公民館連合会
岡田副会長様ご祝辞
京山地区ESD
推進協議会の発表
山本健慈先生の講演 ブレイク
砂川にいた野鳥(アオジとモズかな?)
初ツバメも見ましたよ〜。


2008.2.7(木) 転ばぬ先の杖教室No8 in 江尻親和CH
江尻区福祉委員会主催の今年度最後の健康教室が開催されました。
今回は、
バレンタイン特集♪(調理実習)ということで、瀬戸サブセンターの香川管理栄養士さんが講師でした。
”めざせ!健康長寿!”というテーマで、ドロドロ血液にならないための改善ポイント等をお話いただいた後、
調理実習がスタート。
今日の献立は、簡単ハートパエリア、鰆のふあふあハート蒸し、きのことかぼちゃのスープ、もずく和え、抹茶ヨーグルトハート茶巾でした。
バレンタイン特集にふさわしくハートネーム満載ですが、介護予防食としても楽しく利用できる内容です。
参加者は、仲良くわいわい協力しあい、とっても美味しそうな料理が完成。
もうすぐやってくるバレンタインに胸をときめかせながら(?)料理をいただきました

お世話になりました香川管理栄養士、篠原保健師、森中看護師さんに厚く御礼申し上げます。
なお、この模様はoniビジョンでもご覧いただけます。

私は何を作ろうかしら?
oniさん、らしく撮ってよ。
できあがりましたよ。
う〜ん、
が一杯!
みなさ〜ん、食後は、
頭の体操をしましょうね。
のご指導じゃ。
ブレイク
暮れに蒔いたスイートピー

ジョワさんからの
のプレゼントです。
ブレイク
オキザリスが西日を
受けて
らしい。
ブレイク
Oさんにいただいた
素敵な毛糸の首巻
が温かい。


2008.2.5(火) 平成19年度「健康づくり提唱のつどい」 in 西大寺保健センター
岡山県栄養士会岡山市支部主催の標題の会に参加してきました。
テーマは”生活習慣病予防のための食生活”で、まず管理栄養士の久保田みどり先生による「生活習慣病とその予防について」というお話から。
この先生は、歯科衛生士など数多くの資格をお持ちで、特に歯と健康の関わりの重要性など詳細に教えていただきました。

次に(株)田口青果さんが考案されたSuper Vegeという新食材の紹介がありました。
独自の真空+低音スチーム野菜(無添加)を用いることにより「新鮮なまま、栄養価もそのまま」の状態でのホールカット野菜です。
この野菜は、調理時間を大幅に短縮でき、野菜本来の食感、風味、色合いを保ち、また安全・手軽・生ごみの少ない食材とのこと。
さっそく、この野菜を使って調理実習が始まり、あっという間に写真のようなごちそうができました。
この料理の野菜は、ほとんどスーパーベジを使用!
目下、特許申請中とのことですが、天満屋系列のお店には、出されているそうです。
確かに忙しい主婦や飲食店、集団給食を提供する者にとっては救いの食材となるかもしれません。
健康に関する勉強や新食材の試食もでき、幸せ一杯でした。

久保田先生のお話
素敵な先生でした。
スーパーベジはこれ!
これ以外にも多く
あるそうで・・・
田口青果さんによる
スーパーベジの説明
ルンルン♪
調理が始まったよ。
包丁もまな板も
ほぼ不要
黒豆・さつまいもごはん
野菜たっぷりミートローフ
法連としめじのくるみ
味噌和え
ポテトサラダ
さといものおろし煮
トマトのゼリー


2008.2.3(日) 第9回赤磐川柳大会 in 赤磐市立熊山公民館
赤磐川柳会は、旧瀬戸、山陽、熊山、赤坂、吉井町が赤磐郡であった時に設立されました。
隔年で、各旧町が順番に当番となって大会を開催しており、今年は9回目を数えます。
雪交じりの寒い朝でしたが、9時より受付、本日の参加は66名、投句が10名と計76名がエントリー。
ジュニアの部では、岡山県立瀬戸南高校の生徒さんが3名お越しでヤングパワーを発揮♪
参加者は、あらかじめ出されていた兼題5句と席題を懸命にひねり投句、その後は会員どおしの交流を温めておられました。
12時半より大会が始まり、会長挨拶、赤磐市長、赤磐市議会議長、赤磐市教育長様のご祝辞をいただき、披講が始まりました。
平抜き42句、佳作5句、特選3句が、次々に読み上げられ、あまりのユーモア句に爆笑したり、
意を得て妙な句に感心したりと会場は、ハラハラ、ドキドキ、ワクワクの雰囲気に包まれました。
以下、天位に輝いた句をご紹介しますのでご覧くださいませ。
それにしても・・・やっぱ川柳は奥が深いでんな〜。
ちなみに風は、「忘れる」というお題で「節分を忘れる鬼も高齢化」を提出、かろうじて平抜きに入りました^^;
お世話になりました関係各位に厚く御礼申し上げます。

第9回赤磐川柳大会(赤磐市立熊山公民館 2階大集会室)
兼   題 選   者 句  の  内  容 作  者
忘れる


求める
流れ
人間(席題)
希望(ジュニア)
従野 健一
中永 智遊
岩藤 孔明
中山 亮一
福井 陽炎
北川 拓治
森定 三竿
記憶もう白い絵となる父の川
夫婦の絆心の糸をつむぎ合い
辛抱をさせると一揆興す腹
一声をかけて笑顔を求め合う
不条理な命を奪う流れ玉
人間になれぬが老婆にはなった
心新た世界平和と絵馬にかく
花房   隆
松田 牧子
岡本 淳子
長森 正子
光山 悦子
菅形 美枝
實盛 智子
脇目もふらず
作句中で〜す。
本日の賞品の数々
みのる産業様から
餅つき機が!
赤磐川柳会長
開会ご挨拶
赤磐市長荒嶋龍一様
ご祝辞
席題選者(川柳たましま社)
北川拓治先生の披講
会場に展示された
川柳作品

一月 うらじろの反りてかすかに山の声
季題の「裏白」は山に生えているものではなく、正月用の飾りとしての、それで、日が経ってカラカラにひからびている。
そった裏白の葉と葉が触れあって、カサカサと乾いた音を立てているのを聞き、それが自生していた山中の声を聞いたように思った。
「山の声」といったところは「お正月さん」と呼ぶ農事の神が山から下りてくるという民間の古い信仰や、
正月の祝いものを山から取ってくる古俗と関係するようだ。
また、歯朶(裏白)が「反る」には、年を取るという連想もあり、白い髭でも生やした「山の神様」が
住んでいる山に属していた歯朶が、その国の声を出していると聞いたのか。

2008.1.29(火) 再びの・・・雪景色 in 風んち
岡山県全域で28日から29日にかけ、今月2度目の大雪に見舞われました。
岡山市では、29日に11年ぶりとなる3センチの積雪を記録したそうです。
雪による交通機関の遅延や、スリップ事故など各地で多く発生しましたが、
積雪に耐え、春を待ってる風んちの植物をキャッチしましたのでご覧くださいまし。
それにしても・・・は〜るよ来い♪早〜く来い♪ですね。

もみじ
最後の一葉?
梅の蕾も
そっと膨らんで・・
万両の赤&雪の白で
いっそう鮮やか!
ブレイク(小型カメラでは、ちと遠すぎた)
砂川の対岸にいたノスリとヌートリア


2008.1.27(日) グランドゴルフ大会 in 瀬戸町総合運動公園
瀬戸町グランドゴルフ協会主催の標題の大会が開催されました。
日本列島に寒波到来のさなか、午前8時集合で約80名がエントリー。
ここは山際コースと平坦コースがあり、特に山際のコースは傾斜がかなりきつく、難攻不落(?)と言われています。
開始の笛で各チームがそれぞれスタート!
風などの初心者には、江尻親和クラブのお師匠さんが芝目を読んで右へ狙え〜とか、
まっすぐ打て〜とか的確なアドバイスをしてくださるので大助かり♪
2ゲーム終了後は、得点が貼りだされ、同点者による順位決定戦が行われます。
江尻親和クラブのメンバーが決定戦に出るとやんやの拍手喝采。
中でも同点対決のA親子は、息子(20代)の方がホールインワンを決めお見事でした。
凍結していた芝も溶け、暖かい日差しが皆さんの交流をいっそう盛り上げてくれました。
江尻親和クラブは、Mさんが4位決定戦で破れ惜しくも6位、そのほかの方も大奮闘、ホールインワン賞も多数ゲットしました。
お世話になった関係者、江尻親和クラブの諸先輩に厚く御礼申し上げます。


余談ですが、1月11日から岡山市デジタルミュージアムではインカ・マヤ・アステカ展を開催中です。
日本では、4箇所のみで開催、世界遺産の宝庫とも言われる中南米三大文明の素晴らしさは筆舌に尽くしがたし!
是非とも皆様も訪れてみてください。

会長の開会挨拶
焚き火の煙が温かいね。
山際コース
対戦相手がゴールを狙う。
平坦コース
勝利の女神は微笑むか?
同点者による順位決定戦
晴れ舞台だよ。
胸のすくプレー、
珍プレーに大笑い?
ブレイク
インカ・マヤ・アステカ展


2008.1.21(月) 8年ぶりの積雪? in 岡山市内
本日は大寒、昨日の雨がみぞれに変わり、今朝は一面の雪景色。
報道によれば、岡山市内は2cmの積雪で8年ぶりとか。
久しぶりのまとまった雪に、県南を中心にスリップ事故(75件)、
岡山空港では除雪作業のため遅れが出るなど、その他の交通機関にも一部で乱れが出ました。

風んちから瀬戸駅〜西川緑道公園の雪景色を撮ってきました。(早朝なので写真はいまいち)

風んちの屋上からの
江西小学校と鉄砲山
通勤途上にあった
ユニーク雪だるま?
朝の瀬戸駅ホーム
通常運行で良かった。
西川緑道公園
服を着せてあげたい・・・
西川の雪景色
風情があるね。


2008.1.19(土) 陸上自衛隊渡河(防災)訓練公開 in 瀬戸吉井川緑地(弓削地区)
一昨年から吉井川緑地でこの訓練が開始されていたそうですが、今回は公開と言うことで行ってきました。
部隊は、第305施設隊(三軒家)から100名、第304施設隊(出雲)から20名とのことで、
15日から国体カヌー競技が開催された場所に野営していたそうです。
11時から隊長(?)様の挨拶と訓練の説明があり、号令とともに次のような訓練がスタート!
自走架柱橋・・直接照準火器の脅威が少ない地域の地隙、河川に架設し、戦車等を通過させるための橋
軽徒橋・・徒歩部隊を渡河させるために使用する橋
軽門橋(2つ)・・渡河ボートと軽門橋セットを使用し主に装備車両を渡河させるための橋
機敏な動きで隊員が、重い機材を運び、組み立て、あれよあれよという間に橋を完成させたのにはびっくり!
時間はたったの35分間でした。
その後は、この橋を渡らせていただいたり、ボートで吉井川を遊覧したり、防災展示品等を見せていただきました。
自衛隊といえば防衛省、まだ例の贈賄の不祥事などすっきりしませんが、
本日の隊員さんたちの礼儀正しく機敏な訓練姿はなかなかのもので、今後とも任務をしっかり果たして欲しいと思いました。

公開訓練前の隊員達 隊長様のご挨拶 自走架柱橋
トラックに橋板を積載し、
対岸に橋を架ける。
自走架柱橋が完成
ジープが対岸へ渡る
軽徒橋を作成中。
対岸まで残り半分。
軽門橋が完成
つないだボートは10隻
軽徒橋完成!
対岸から被災者を救助
軽門橋にジープが
乗って渡河します。
吉井川を遊覧中
カメラマンばかり?
災害時の救出機器
どれもすごい!
ブレイク 2008.1.18(金)
岡山駅前に雪6トンのネズミが登場♪
「氷紋まつり」のPRで、園児達が滑り台を楽しむ。


2008.1.13(日) 新春初打ち(グラウンドゴルフ) in 江尻レストパーク
江尻親和クラブでは、本日、グラウンドゴルフの初練習を行いました。
雨上がりのレストパークに13名が集合、新年の挨拶を交わしスタート!
ここぞとばかりにナイスショットの人、久しぶりにスティックを持つ人、それぞれの思いをボールに乗せ
あぁだぁ〜、こうだぁ〜とおもしろく言い合いながら、2ゲーム楽しく練習をしました。

終了後は、江尻親和CHにて新年会♪
高級いのしし肉、鹿肉をメインディッシュに、焼肉、すき焼き(しょうゆ味とみそ味)に仕立て、乾杯!
各自のフォームなど評価し合いながら飲んだ、食べた、喋った〜。
このような交流が地区の明日への発展につながります。
メンバーの皆さん、ありがとうのお疲れさまでした。

第1コース
ホールインワンなるか?
次はおらの番だ。
みておれ〜〜。
2打目は・・・
見事にゴール!
ここは丁寧に
打ちますよ。
こんな場所から
打つ人も?
新年会だよ。
カンパ〜イ♪


2008.1.12(土) ニューイヤーコンサート in ゆう遊プラザ(岡山市瀬戸町)
瀬戸町の子育て支援施設である「ゆう遊プラザ」で、標題のコンサートが開催されました。
ここは、以前の瀬戸保健所の跡地利用として、県下でも有名な子育て支援事業が展開されています。
乳幼児から小中学生、高校生、大人まで数多くの住民が利用しており、H19年度利用者も約30,000人とか。

本日は、あいにくの雨ながら、子供連れの保護者や住民が多く訪れ、コンサートが始まりました。
まず、赤磐子どもNPOセンターの「ポレポレ」(スワヒリ語でぼちぼち行こうかな)というコーラスグループの歌。
次は、結成から間もないという「ハーバーランドジャズオーケストラ」の皆さんの演奏をお聞きしました。
両グループとも子供向け、保護者向けの曲を考えてくださり、楽しく素晴らしいコンサートでした。

ゆう遊プラザは、子育てを総合的に支援する施設ですから、興味深いイベント、交流の場、講座などたくさんあります。
今後とも、多くの方が利用し、益々発展して欲しいものです。

玄関の可愛い看板 「ポレポレ」のコーラス ジャズコンサート 美人ボーカルさんも・・ 雨のゆう遊プラザ

2008.1.1(火) おせち料理2008バージョン in 風んち
皆様には新年明けましておめでとうございます。
旧年中は、「風の午後」をご覧いただき心より御礼申し上げます。
本年もコマネズミ(?)のように取材活動に励みますので、ますますごひいきにお頼み申しまチュゥ。
しかし、何はさておき、皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

さて、頑張って恒例のおせち料理をUPしました。
いちおう3段重になっていますが、正式な盛り付けではありませんので、その点、ご了解願います。

これだけ作ったでチュ。
干支の置物と衝立は
吉田和也作品
一の重
黒豆、田作り、数の子、
栗きんとん、焼き豚2種、
菊花かぶ、紅白蒲鉾、
こんにゃくオランダ煮
二の重
海老姿焼き、ぶり照焼、
肉巻き、イカの黄身焼、
つみれ揚げ、伊達巻、
扇松風
三の重
煮物(くわい、揚、高野、
しいたけ、エビ、)
昆布巻、しんじょ
レイク
H19.12.30(日) ☆の里へお餅つきに行きました。
猛吹雪の光景&紫芋を混ぜてついたあんもち作成中

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